細川家家臣の家紋帳を眺めていたら堀部家の次郎左衛門系三家と彌兵衛系一家の家紋が少々違うのに気づいた。
朱書きの重蔵・伊右衛門(甚之允系)の二人は、弥兵衛・安兵衛の吉良邸討ち入り後細川家に於いて「遠慮申付」られている。
長兄・三右衛門の当時の消息は現況判らない。次郎左衛門の二男庄兵衛は元禄16年の召出し、弥兵衛の養子・文五郎は少々下って宝永5年の召出しである。
文五郎も討ち入りに加わることを望んだらしいが、弥兵衛は安兵衛亡き後の堀部家を想いこれを許さなかった。
又事件後の連座を恐れ文五郎は実家に帰されている。
竜田藩片桐出雲守家臣 同左・後浪人 浪人・正保4年来・肥後 慶安元年(1648)召出
堀部助右衛門---弥兵衛---+--次郎左衛門---+--甚之允---+--三右衛門・・・・・・・・・・→甚之允家
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| | +--重蔵(左近右衛門)・・・・・→右学家
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| | +ーー伊右衛門(成田家養子)
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| +--庄兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・→庄兵衛家
| 元禄16年(1703)召出
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+---弥兵衛ーーーーー+==安兵衛====文五郎・・・・・・・・・・・→文五郎家
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+==文五郎ーーーーーーーーー・
弥兵衛妻わかの甥・忠見氏
さて本題の家紋の話、次郎左衛門系三家は「隅立て四ツ目結紋」、弥兵衛系文五郎家は「丸に繋四つ目結紋」である。
ちなみにこれが繋四ツ目結紋である。これが丸の中に納まっている。