6月16日■忠興愛妾「小やゝ」の死を書いた。元和九年のこの日に亡くなった忠興公の愛妾について、八代の盛光寺様にお手紙を差し上げていたがご返事を頂戴した。
厚く御礼申し上げる。
お手紙によると縁起文書等記録は残されていないという。又お墓も存在しないようで御位牌が中津の西光寺から移された様である。
この方についての情報は以下の如くである。
当山開基之発願之霊位
〇西光寺院殿法樹栄林大姉 元和九年六月十七日
豊前中津上林西雲の娘
細川忠興之側室 上林小山事
オヤマの方
福岡県史・近世史料編 細川小倉藩に記録が残る「小御上(このうえ)」様の実像が混沌の闇へと隠れてしまった。
私はこの貴重な情報を頂戴したにもかかわらず、いまだ 「小御上(このうえ)様=小やゝ」と信じたいと思っているのだが、少々気持ちが揺らいでもくる。
クロスワードパズルの最後の設問に対する答えをはめ込んでも、此のパズルは成立しなかった。
又一から「綿考輯録」そのたの史料を詳細に読み込み、そこにある記述の出典を探り何とか真実へたどり着きたいと思う。