津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■確信犯

2018-06-26 09:11:15 | 徒然

 6時前園芸用の小さなスコップ片手に朝の散歩にでる。外に出ると小雨が降っている。傘を取に帰って改めて出発。
途中でやや降りが強くなったが今朝は目的がある。スコップ持参の目的は「ねじばな」の採取(?)、確信犯である。
この花はよく芝生の中に見られるが、根張りが半端ない・・・一株を掘り起こすのが大変だった。
まだ早朝だから人通りも少なく、屈みこんで数分格闘してゲット。やや花の時期は過ぎているが、まあ良しとする。
相当降られてそれなりに濡れて、約50分の散歩。帰宅してシャワーをしてついでに濡れた物の洗濯・・・
朝食前に「ねじばな」を植木鉢に植え込む。そうこうしていると7時半、朝食をとっていつものごとき一日が始まる。

大降り状態だった雨も小康状態となった。今日は6月26日、65年前熊本大水害で我が母校・大江小学校の校友20数名が死亡・行方不明となった。
この時期は本当に胸が痛くなる。あらためてご冥福をお祈り申し上げる。

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■「第5回若楠会 謡・仕舞特別鑑賞会」

2018-06-26 08:29:02 | イベント

 金春流職分・能楽師による「第5回若楠会 謡・仕舞特別鑑賞会」が、上記要領で開催されます。
多くの皆様のご来場・ご鑑賞をお待ち申し上げます。

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■井田衍義・歛法條諭 十二・十三(16)

2018-06-26 07:09:50 | 史料

 一五九 (つづき)

 横帳ニ〆    年號
 何郡何手永何村、歩下御損引下作一人別前揃御帳
      何十一月
一高五石六斗五升五合八勺
  御土物成貮石七斗六升五合六勺九才
    内
  高三石六斗五升貮才
  田貮反貮畝貮拾壹歩
     内
    六畝拾五歩           早田
     徳米五斗貮升貮合五勺
    壹反壹畝三歩          中田
     徳米五斗三升壹合七勺
    五畝三歩            晩田
     徳米壹斗六升壹合貮勺
   田米合壹石貮斗壹升五合四勺
  高貮石五合七勺八才
  畑貮反五畝拾五歩
     内
    四畝貮拾四歩          大豆
     徳米壹斗九升壹合九勺九才
    貮畝拾八歩           胡麻
     徳米壹斗四合
    壹反三畝貮拾壹歩        粟
     徳米五斗三升三合貮勺
    三畝              諸作
     徳米壹斗壹升九合九勺九才
    高壹斗貮升六合
    壹畝拾貮歩           居屋敷
     御土物成六升壹合六勺壹才
    畑米合壹石壹升七勺九才
  田畑米合貮石貮斗五升六合壹勺九才
    差引下五斗三升九合五勺
   右之内
一高貮石六斗九升壹合壹才        十作

  御土物成壹石三斗壹升五合九勺
  高壹石九斗六升貮合壹勺
  田壹反貮畝六歩
    四畝              早田
     徳米三斗六升        
    八畝六歩            中田
     同三斗七升六合壹勺三才
  田米合七斗三升六合壹勺三才
  高七斗貮升九合
  畑八畝拾八歩
    貮畝              大豆
     徳米八升
    六畝拾八歩           粟
     同貮斗七升七合六勺
  畑米合三斗五升七合六勺
  田畑米合壹石九升三合七勺三才
    差引下貮斗貮升貮合壹勺七才
一高壹石六斗四升三合六勺九才      六作
  土御物成八斗三合七勺七才
    内略ス
  田畑米合五斗七升九合九才
    差引下貮斗貮升四合六勺八才
一高壹石三斗貮升壹合壹勺        自分
  御土物成六斗四升六合貮才
    内略ス
  田畑米合五斗五升三合三勺七才
    差引下九升貮合六勺五才
    以上
   何十一月        何村庄屋 十助
           御惣庄屋
           御内檢
 下作前揃と申帳、諸帳面ニ附録いたし候様との事ニて、
 書付二通幷案文一冊被相渡、急ニ仲間中御惣庄屋中存
 寄有無か申達との事ニ付、當時仲間中大かた御通行ニ
 付、罷出急速難申達由申達置候、仁田氏より猶又市太郎
 へ被申聞候ハ、右帳面之儀ハ御土免割以後迄高地片付兼
 候ヶ所/\迄之儀ニ御座候、御土免割帳狂無之、名寄帳
 ニ付送等仕出候所々ハ、只今迄之通ニて、何そ附録ニは
 及不申と被申候間、同三年七月夫々藪市太郎より御請申    藪市太郎(1)七番与 三百石
 達候事                              (2)御留守居御番頭同列中着座・御奉行 三百石御足五百石
                                  安永元年九月~安永六年一月 奉行副役
                                  安永六年一月~寛政元年四月(病死)奉行
                              
名は安、通称市太郎、字は子壽、槐堂と号す。慎庵の長子にして孤山の兄なり。
                              人と為り剛直質朴、古人の風あり、政を為す正義を執りて屈せず、往々俗吏を驚かし
                              政務を正し、種々の現行世に傳はり、其名高し。禄三百石、奉行職となり、宝暦改革
                              に力を盡し其功多し。寛政元年四月三日没す。享年六十一。墓は本妙寺山中。

 
     

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