一二七 (後半)
一惣躰上内檢・地内檢之儀ハ、御免方少も依怙贔屓なく明
白ニ申談、各より御所務方之儀ニ付御申談筋之儀付ても、
存寄之儀ハ無用捨心底不殘申達、其趣次第ニハ、委細御
郡方へ相達申筈之御格ニて候ニ付、毎歳右之趣及沙汰候
得共、猶又諸事入念、不正之儀無之様覺悟不仕候てハ不
叶譯ニ候、萬一心得違之筋有之候ハヽ、早速被指通間敷
旨候間、彌以正道之取計可申由、上内檢・地内檢へ致沙
汰候間、各へも随分委敷被遂御吟味、諸事明白ニ可有御
取計候、尤御惣庄屋其外下役人共も、諸事相慎、心得違
不仕候、重疊可有御沙汰候事、
一在中夫仕諸出来銀等之儀も、追々御沙汰有之候通、彌以
諸事心を付、下方夫及迷惑様可有御申付候、畢竟御惣庄
屋共委ク心を付不申、手代・小頭まかせニ仕置候所より
間違之様子も有之趣候間、萬端相改、委細詮議仕候様可
有御沙汰候事
右之趣、去秋も及沙汰候ニ付改申達ニ不及候得共、猶又
可申達旨ニ付、如是候間御心得可被入御念候、以上
寶暦二年八月日 郡 方
諸御郡奉行衆
同時御内檢へ達之書附さ之通
覺
一御所務方之儀ニ付、諸御郡奉行衆へ令沙汰候書附、別紙
寫之相渡候、各御役方第一之事候間、何レも被寫取、紙
免之通被相心得、諸事心を付可被入念候、近年は打續御
物入ニて、御勝手向彌以難被為通趣候間、各も重疊被附
心、随分御免上り方相成候様、心得第一之事候間、可有
出精候、諸作も當時迄ハ宜敷様子ニ相聞、一段之事候
一田方御徳懸之時節ニ至候ハヽ、各前以被相詰居、下見之
儀随分せり立、毛上くたれ不申内、早朝より罷出極晩迄
打廻り、徳懸無間抜様可被相心得候、尤村々下見揃候上
御徳懸相極候と有之候ては、及延引候間、一ヶ村ニても
下見出來候方ニは、早速入込徳懸可被相極候事
一只今迄ハ下見帳上内檢方へハ取不被申様子相聞候、此以
後旦々上内檢方へも下見帳取置候て、入念可被申段、去
秋も及沙汰候、彌以其通ニ可被相心得候、且又宿之儀も
上見と地内檢とハ難候て宿被仕様子ニ候、宿數ニ及候て
ハ、人夫其外共、下方迷惑仕事候間、是又向後上見地内
檢共、成たけ一宿ニ相極、諸事費ヶ間敷儀無之様、しら
へ方等も無腹蔵可被申談候、田畑御徳掛相濟候得は、上
内檢は引取被申様子候得共、地内檢中積相濟候迄ハ相
滞、惣躰之儀被申談候様との儀も去秋も令沙汰候、是又
彌以其通可被相心得候事
一新地畝物之儀は、高懸り諸役も不相勤物故、其年並之毛
上一はい相應之御所務相極申筈候處、近年御免下り方相
見候坪々委細見分之上、入念徳懸可被仰付候事
一御免伺目録、前廉は十月限達有之、入組無之候得は、伺
之通其時々相濟、十月限十一月初下方へも被申渡、御代
官皆濟目六も、無遅滞差出為申事候、然處近年いつとな
く達方及延引、月迫ニ至御免申渡有之、下方も落着不申
諸上納も及遅滞、相達被申候大積目録之儀は、早田・中
田の徳懸相濟候所柄は、晩田立毛にて、何程ニ廻り可申
と見積、大積目録仕出可被申候、萬一晩田之御徳懸ニか
ゝり、大積仕出無之手永/\は、吟味之上申付様之品可
有之事
一追々申入候通り、寺社方之諸勸進、又ハ薬其外下方難題
ヶ間敷頼之類、何程無據儀たり共堅無之様可被心得候、
萬一了簡違なと有之候ハヽ、被差通間敷候間、御制法之
趣彌以可被相守候事
一惣躰各儀は、御免方少も依怙贔屓なく明白ニ被申談、御
郡奉行衆より御所無方之儀ニ付被申談候筋之儀、道理ニ
叶不申歟、御為不宜と被存候儀は心底不殘被申達、承引
無之おいてハ、御郡方へ相達被申筈候御格ニて候、此旨
堅相守歟被申候、不正之儀も有之候ハヽ早速被指通間敷
候間、彌以正道ニ取計歟被申候事
右之趣、毎歳申入事候得共、別て被入御念候儀ニ付、猶
又令沙汰事候條、随分入念相勤歟被申候、以上
寶暦二年申八月日 八月七日於御郡間、御内檢へ
被相渡候書付也