一一三
覺
一下見仕様之事、只今迄は上・中・下之段を取、枯を見抜、
毛荒を引、色々六ヶ敷仕候ニ付、舛付なとあひ段違かけ
まわしなとニて、ためし高く當候儀も有之候、又、手く
ろうの下見ニて御内檢衆例を仕損申事も有之候、第一下
見ニ甲乙有之候得は御百姓かたたはれ有之候、向後一坪
切籾見詰可申候
一切籾見様之事、假二反之坪ニ枯れも有之、毛荒も有之、
色々段も違申坪、其段に構不申、此二反之坪ニ四斗入込
籾拾護俵と見立候ハヽ、籾三石段と書出し可申候、其書
出有躰ニ候ハヽ、御内檢見計其分ニて通可申候、若拾五
俵有之坪、御百姓ハ拾貮俵と見立、御内檢ハ拾八俵と見
立候ハヽ、其坪を刈上坪ためしニ仕候ヘハ、御百姓手く
ろうも成不申候、御内檢之強舛と可申様も無之候、其上
下見ニ隙入不申候、段取甲乙無之候、片たおれ無之候、
只今も此委細得斗御百姓に申聞、當秋よりハ田畑共ニ下
見此通可被申候、以上
延寶八年二月十六日
一一四
御内檢誓詞前書き之事
一御内檢之儀、少も依怙贔屓仕間敷候、何事ニても御為可
然と存候儀、尤悪敷と被存候儀、有躰ニ可申上候事
一御免之高下幷御郡方之儀ニ付、諸役人之善悪、村所之様
子御尋之儀、親疎之隔不仕有躰ニ可申上候事
一在々より何ニても音物受間敷候、尤御惣庄屋・小庄屋・
百姓之振廻一切受申間敷候、諸事不行規仕間敷候事
一御郡へ罷出、御用之外御百姓共召仕申間敷候事
一何方ニても隠密被仰付候儀、他言仕間敷候、尤各へ被仰
付候儀、道理に叶不申候歟、御為不可然と奉存候儀、存
底不残歟申上候、其上ニて不被成御承引、御為あしく候
と存候儀は、早速御奉行所へ可申上候事
延寶八年二月十六日
一一五
取立人へ申渡覺
一御取立人之儀、御内檢衆へ夫々之徳懸仕可被相渡候間、
其達之一品切ニ取立歟申事
一大豆ハ作徳共取立置、取立相濟候以後、作徳三ヶ一ハ御
百姓へ遣シ歟申候事
一木綿右同断之事、但大豆・木綿共取立之都合に不納於有
之は、其差別仕候事
一大唐取立之事、其所ニより御百姓之為作食迄ニ作り申大
唐、御徳懸を取立、作徳は差免歟申候、又、大唐大分ニ
作り御年貢ニ納申所は作徳貮割込貮取立可申事
一胡麻・荏子・小豆徳懸、五割入取立可申候事
一早中田右同前之事
一晩田は右之品々取立之員數見合、御年貢ニ越申候ハヽ、
作徳貮割貮ても見計可申候事
一きひ・稗・大角豆・麥・粟等之雑穀は取立申間敷候、乍
去、野方畑から之所は雑穀取立不申候ハヽ、御年貢都合
合申間敷候間、尤取立可申候事
一夫々之徳懸取立申候ハヽ、随分麥作仕付申候様心を付可
申候、麥作ハ時分廿日と過候得ハ悪敷候、御蔵へ相拂候
儀ハ少も延引不苦候、尤急ニ入申御米は其時分可申遣候、
兎角麥作早仕候儀肝要之事
一御徳懸者取立ハ、御蔵入仕候砌俵物不殘さしを入、御蔵
入可申付候、左候て庄屋相符御蔵預ヶ置、其員數に相違
候ハヽ、庄屋・相符人可為曲事候、此段兼て堅可申付候
事
一何も皆濟目録差上候刻、右之書出申品々御年貢取立申筈
之物を取抜し、滞米有之候ハヽ、假壹萬石之取立高ニ貮
百石三百石殘申候共、取立悪敷貮て候、又、野方畑から
の所にても雑穀多き手永ハ、殘米大分有之候、夫々徳懸
目録引合、御年貢貮取立申筈之物をさへ取ぬかし不申候
ハヽ、目録通し可申候事
一取立之儀、漸三十日四十日之間にて、此日數は夜白無油
断取立可申候、若油断仕取抜候ヘハ後日滞も目二相成候
御百姓潰れ申事ニ候、此段不及申儀ニ候得共第一入念可
申候事
一今度御給知不殘御蔵納罷成候、此方より差出候役人ハ、
其所之様子萬事不案内ニて可有之候、御内檢不案内にて
徳懸下ヶ申と見及申候ハヽ、早速御内檢得心を付可申候、
尤御内檢徳懸高く仕候を、御百姓不心得にて受強申と見
及申候ハヽ、舛ニても坪ためしニても望候て有躰ニ相究
可申候、兎角今度之儀、何も此方之役人不案内ニ候間、
諸事御惣庄屋之心得肝要ニ候、百姓之強弱、御免之高下
其外何方にても御惣庄屋吟味仕、御郡奉行衆へ申達候儀
此方より疑ひ申間敷候、然上ハ自然不實之儀を申上、申
掠候儀有之候ハヽ、後日相知申共曲事可被仰付、候此段
納ゝ相心得可被申候事
一今度大分之御取立方被仰付候、後レ仕候得は調申間敷候、
前々ハ御年貢取立之仕様、水籠拵水ニ入、其外色々痛申 水籠(牢)手永會所には必ずあったと言われています。
様成儀共有之候、向後左様之儀は仕申間敷候、御内檢衆
見分を以有躰ニ徳懸仕候を、御百姓同心仕受合、其上ニ
て其員數無相違納可申との證文仕出し候上は、滞可申様
無之候、然處、若滞有之候ハヽ其ぬけ申所を郡三仕、取
立可申候、吟味仕候て彌御百姓横道を構申候ハヽ、相搦、
籠申付、其段御取立奉行ニ仕上候て御郡奉行衆へ申達、
此方へ御沙汰可仕候、實否を糺、彌横道ニ究候ハヽ、見
せしめの為曲事可被仰付候、尤不足籾すり不納も尚以目
前の儀ニ候、此段兼々末々迄能相心得候様可被申付候、
然上は水籠拵置候も無用ニ可仕候事
右之通、御惣庄屋能々相心得可申候、尤此段不殘末々迄
も可申聞候、惣て御免方之儀、前々は御惣庄屋中ニは知
せ不申、只今より曾て左様ニて無之候、随分承候て若存
寄も有之候ハヽ其段可申上候、其道理次第可申付候、兎
角何ニても道理ニ違申候と存候儀ハ早速可申上候、假其
道理立不申儀も不苦候事
右之通堅可得其意候、以上
延寶八年二月十六日