こちらはAmazonで購入した「近世史用語辞典」、一冊持っていたのだが行方不明、そのうちに押し入れの奥の段ボールから出てくるかもしれないが・・・
その時はブックオフにでも持っていきましょう。二冊所持している本もかなりたくさんありますし・・・
一二五 つづき
一石詰ニ有躰ニ見申候ハヽ、所ニより御免大分ニ上り可申
候、御百姓共其様子を前以了簡仕、偏ニ御免上り申儀を
相心得申候ハヽ、何角と支申儀も可有之候、御免之儀は
此中より段々如申渡、徳懸有躰究置、其上ニて其所之様
子萬事吟味仕、御惣庄屋・御内檢衆・各尾郡奉行衆皆共
立合、讃談仕候上ニて下ヶ申所ハ吟味次第何程ニても下
ヶ可申候、此様子能々可被申聞候、兎角何之道ニも上下
共有躰ニ相心得可被申候事
一諸損毛下見何レも石詰ニ仕せ可申候、然共當年は初之儀
候間、畑方之分ハ如前々位を取遣可申候、夫ニも庄屋・
百姓能合點仕候て、石詰ニ見可申と申候ハヽ其通可然候、
田方之分ハ不殘彌石詰ニ見申様可被申付候、見様之様子
前以書付能合點仕候様、兼々可有沙汰候事
一新地出高畝物等、御百姓働ニて仕立候分ハ、其地之様子
次第、本方よりハ一割・二割之間徳懸さけ候て、懸可被
申事
一御百姓之内相煩候歟、何とそ不慮之損を仕候歟、何之道
ニも當年潰可申と見立候者は、御惣庄屋前以吟味仕置可
申候、此段去年より申渡候處、其役人之心得ニは手前有
徳成者計を除置、村中大形書出申様仕候者も有之候、其
譯ニてハ無之候、是ハ必至度當年潰レ可申と脇よりも見
立申様成者迄之儀ニ候、ヶ様之者ハ大勢ハ無之筈ニ候、
此上ニてもむさと書出申分ハ、御惣庄屋不心得ニて候間
用申間敷候、尤假潰レ申ニ極候共、常々奢を仕耕作も無
情(精カ)ニ仕候て逼塞之ものハ、曾て構申間敷候、左様之者を
救ひ申候ヘハ御百姓之風俗悪敷罷成候、此段御惣庄屋中
能々相心得申候様、左太可被仕候事
一前々御惣庄屋中ハ御免之儀しらへ不申候、當年より御惣
庄屋御免積をも見可申候間、兼々能々相心得御免積仕候
様可仕候事
一當春被仰渡候ニ、向後御惣庄屋申候儀を疑申間敷由被仰
渡候、此段能々相心得可申候、此中之心得は以不吟味ニ
仕、相違之儀を申候ハヽ可為越度候、能々下を吟味仕、
有躰ニ可申上候、惣て御惣庄屋中能心懸申様沙汰可被仕
候事
一御所務方之肝要、根元ハ御土免ニて候、只今迄之御土免
之究メ様如何と存候儀多く候、假ハ御百姓有付候ヘハ、
其地不相應之土免を下申候、如此心得悪敷候、土免ハ永
々御所務之かねニ成申候ニ付、左様ニ仕譯ニてハ無之候
事
一御百姓有付申候迚、地不相應之土免上置申村、重て御給
知ニ成り其百姓からけ申候村は、御給知免大分下免可罷
成候、然は撫ニ被仰付詮無之候事
一御百姓草臥申候とて、其地不相應ニ土免を下ヶ申候時
ハ、其地御給人渡御百姓仕立申候ハヽ、大分高免ニ可罷
成候、是も詮無之候事
一御土免は田畑共ニ地吟味之位を能見合、反別相應ニ相極
申度候、尤御百姓之強弱ニより御土免ニ高下仕事ニは候
得共、是ハ秋免之事ニて候、假ハ御内檢衆徳懸有躰に相
極候上歟、又ハゆるみを遣候ても壹分貮分三分之間、其
様子次第ニ仕申候、御百姓草臥申村ハ五分七歩壹ツ成ニ
ても下ヶ申事ニ候、秋免ハ如何ニも御百姓之強弱見計無
之候ては不成事ニ候、御土免ハ此譯ニてハ無之候事
一御百姓有付申候迚、地子不相應之土免を必多度上申候時
ハ、其村之風俗能かせきを以身上仕立之甲斐も無之候、
其上後ニハ下免罷成候事
一御百姓草臥申候迚免をむさと下申候ヘハ、反別不相應之
外下免ニ罷成候付、其村々百姓其地を脇へ米定之出作ニ
入、相渡米を取、耕作ニ精を入不申由ニ付、彌下見ニ罷
成候、假此村ハ五ツ之土免ニて反別地位ニは相應仕候得
共、人畜無之候ニ付田地作り立申事不成と見及申候ハ、
人畜を入申様ニ仕、村を仕立可申候、其段急ニ不成候ハ
ヽ土免之極を有躰之面ニ極置、其村之草臥ニ對、格別ニ
赦免を遣可申事
一右之通御土免之根を極置候ハヽ、後日御知行割有之候て
も、各別ニ下免之衆も高免之衆も無之筈ニ候、此段肝要
候事
一新御蔵納之分は、地味反別之様子何も不存事ニ付、前々
より之如御法度、十年之高免之大格を相極、其内之高下
ハ御惣庄屋見計次第申上候様ニと申付、御惣庄屋存寄相
極申候、此段も段々高下可有之と存候、御國中惣くヽ
り、前々より之御免ニは大分下り居申候、是ハ御國中大
かたハかしけ申候ニ付、右之通百姓之強弱之了簡にて如
是と存候、當秋より地内檢衆・御惣庄屋各土免之所ニ能
心を付、其地相應之御免を能々念を入相究可申候、其上
ニて皆共了簡ニ引合可申候、是も急ニ成可申様ハ無之候
得共、皆共も御國中随分心を付可申候得共、第一各心付
無之候ヘハ不成事ニ候、右存寄之通り書附申候、右之通
ニ付各存寄候ハヽ、尤可被申聞候、又其所/\ニより此
格違申所も可有之候、次ニ山奥人多候間御年貢少宛納申
所なとハ、定免ニ仕心持ニても可有了簡候、惣て御郡之
儀ハ何方も御郡奉行衆得斗被申談、御惣庄屋・小庄屋其
末々迄譯を呑込申様ニ可被相心得候、御免方御所務方少
も下へ隠し可申譯無之候、もし此方之道理あしき事小庄
屋存寄候て申出候とも、其譯此方へ可被申聞候、然上は
其外役人衆之儀ハ不及申、能々萬事心を付可被申候、此
書付御惣庄屋中・御内檢中いつれも寫置候様、沙汰可被
仕候、尤御郡奉行衆へも可被入御披見候、以上
延寶八年七月 野田 與兵衛
高原小右衛門
牧野安右衛門
御取立奉行衆
(了)