「ひとひら」という言葉がある。「ばいを銜(ふく)む」という言葉がある。
それは「枚」という語句の音読みと訓読みである。
大好きな佐佐木信綱のこの歌は、そこにいずしてまるでそこに居るような気持ちにさせられる。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
「ひとひら」という言葉は「一枚」「一片」などの語句をそう読ませるが、英語では対応できる語句がない。何とも優雅でありいかにも日本的な言葉である。
一方「枚を銜(ふく)む」という言葉を知ったのは、そう遠い話ではない。
「朽木氏」の事を調べていた時、偶然「口木」という語句があることに興味を持って眺めてみたら「枚(ばい)」にたどり着いたことによる。
「昔、夜討ちのときなどに声を出さないように、兵士や馬の口にくわえさせた、箸のような形をした道具。ひもで首に結びつけた。口木。」とある。
また罪人などの自殺防止のために口木をふくませることがあったようだ。
音読みと訓読みで意味合いがこんなに違う語句もめずらしい。
今回の大坂の地震に際し、菅官房長官は「枚方」を「まきかた」とお読みになったというが、お粗末でしたな~。
一四六
〇寶暦八年二月名寄帳案文御達之事
一諸御郡地引合之儀、追々相濟候所々は、名寄帳も改被仰 熊本大学学術リポジトリ・熊本藩における宝暦地引合について
付候間、右帳面仕立様之文案帳一冊被相渡下方へ及沙汰 松本寿三郎教授
候様、右之趣ハ上地御内檢へも被及御沙汰候段、高橋次
部右衛門方被申聞候事
二月八日 二塚伊右衛門
一四七
〇同年三月見圖帳案文御達之事
一今度地引合見圖帳一紙仕立様之儀ニ付、別紙案文之通仕
出候様及沙汰可申由ニ候、尤地引合相濟候村々之儀ハ、
調直申ニ不及、清書帳より案文之通調出候様可有御沙汰
候、尤地引合有之所々ハ、仲間中え早々可有御順達候、
御内檢中へも此方より及沙汰候、以上
寶暦八年三月廿三日 御郡間
一四八
〇地引合之儀ニ付御達之事
一今度田添源次郎へ被仰付候地引合之儀、御郡代中も得斗
識得有之候様承届被申、又ハ一ト通立合被致見分候儀
等、存寄次第ニ候、勝手次第之儀不及申事候得共、此方
より沙汰無之とて、萬々一見合被居候衆も可有之哉ニ
付、右之趣此方より寄々可申達旨ニ付左様御心得之事
同年五月 御郡間
覺 御郡代え
一二ノ口米・増水夫米之儀、當年も御免被下候、尤去年迄
は御土免通御免被下、損方ニは上納被仰付候へ共、農業
無怠慢出精候上も不作ニて損引願出、毛上ニ應し御徳懸
被仰付候上ハ、別儀無之事ニ付、通方損方共差別なく、
右二稜御免被下候、勿論右之うるめ二もたれ、損方容易
二心得不申、可成たけ御土免二受除候儀競候様、各より
委ク可有御沙汰候事
但、去秋迄ハ損引之者共ハ、跡達て少々宛格別二御米
被下候へ共、右二稜御免被下候事ニ付、追て格別之御
米ハ被下間敷候、此儀不及申事候得共、為念申達置候
事
寶暦八年五月
一四九
〇反別下ヶ被仰付候處へ、二口・増水夫米御免被下御達
之事
一當秋之儀、御土免通御損引方共、二ノ口米・増水夫米御
免被下候段、今度被及御沙汰候、然處、各別依願反別下
等被仰付置候所々之儀も、右同前可被仰付哉、此段奉伺
候、以上
寶暦八年五月 御郡代
[付札]「此儀相達候處、反別下り等被仰付置候所々之儀
も、同前可致沙汰旨候間、左様可有御心得候、已上
五月七日 御郡間
一五〇
〇百姓屋敷床持懸之位にて致損引候様御達之事
覺
一損引二出候村々百姓共、居屋敷床御年貢之儀、元畝之位
二不拘都て上之位ニ致差引來候處、當秋より被改、以來
持位を以致差引候様、御内檢ともえ及沙汰候、此段各為
御存知か申達置旨ニ候、以上
寶暦八年六月廿一日
右於口ノ間、志水才助方より出懸大塚甚蔵へ被相渡候事