七三七
一御家中之面々、公私付て旅又ハ廻在等之節、出人馬之儀
望之員數被相達次第指紙相渡、人馬出方之刻限ハ面々よ
り人馬會所へ被申達候得ハ、其刻ニ指出來候處、間ニハ
刻限及遅滞、又は夫方之内ニハ心得違之者有之、其主人
及迷惑候様之儀有之、不埒之至ニ付、屹ト右躰之儀無之
様此節猶又及達候、然處、人馬ハ無遅滞罷出候ても主人
出立及遅滞、間ニハ御定法ニ違候荷物貫目を付越せ、人
馬及難澁、夫方之者より其段申出候得ハ、無理ニ呵付候 呵=しかる
様之族も有之哉ニ相聞、心得違之事ニ候、依之以來人馬
之儀望前之刻限夫致遅滞様出立有之、且荷物貫目等之儀、
彌以御定法ニ越候儀無之様可及達旨、御用番被申聞候條、
左様御心得、已下例文
文化八未從月三日 御奉行中
七三八
一江戸御曲輪内、張弓為持通行之節、御門番所え断無之候
てハ罷通義難成由ニ付、御家中之面々も張弓為持候族は、
向後左之通可被相心得候
外櫻田御門 日比谷御門 数寄屋橋御門 鍛冶橋御門
呉服橋御門 常盤橋御門 神田橋御門 一橋御門
雉子橋御門 田安御門 半蔵御門 和田倉御門
馬場先御門 竹橋御門
右御門々々之内、罷通候節ハ若黨之内を右下番所へ差遣、
御名家來今度致出府、又ハ國元へ相越候ニ付、張替為持
罷通候段、口上ニて相断候迄ニて相濟候由候條、右之趣
觸支配方へも寄々及達置可申旨、御用番被申聞候條、已
下例文
十二月廿四日 御奉行中
ウィキペディアから「江戸城総構え」
外櫻田御門 日比谷御門 数寄屋橋御門 鍛冶橋御門
呉服橋御門 常盤橋御門 一橋御門
田安御門 半蔵御門 和田倉御門
馬場先御門 竹橋御門
神田橋御門
雉子橋御門