参謀本部が編纂する日本の戦史は、憶測や勝手な解釈などは排除されているだろうから、より客観的ではないかと思ったりして少々興味があって注文した。
参謀本部が編纂する日本の戦史は、憶測や勝手な解釈などは排除されているだろうから、より客観的ではないかと思ったりして少々興味があって注文した。
八六四
一世上通用之為去寅年貮歩判金吹立被仰付、且ハ小判瑕金
多ク難儀之趣二付、追々引替させ候へ共、今以瑕金有之、
畢竟元文之度吹替之儘ニて、此上年を經候ニ随ひ彌瑕金
多相成際限も無之儀、世上之難儀たるへく候、依之後年
迄瑕之憂無之為、此度小判金是迄之目方を以厚之貮歩金
貮吹直被仰付候、壹歩判之儀も年久相成、座方の極印分
兼候も有之に付、是また同様吹直させ候間、両替等是迄
之通相心得無滞可致通用候、尤右引替日限等之儀は追て
可及沙汰候
右之趣國々えも可觸知者也
六月
八六五
一一橋ニて御前様之御生母、去ル三日死去之由、依之御前 御前様→細川齊樹夫人・一橋大納言治齊女・紀姫
様御定式之御忌服被成御受候段申來候、尤右之御儀付て
御家中慎等ニは不及候、此段觸支配方へも知せ置可申旨、
御用番被申聞候條、被奉承知御支配へも可被相知候、以
上
八月十九日 御奉行中
八六六
口上書
一來月十六日大詢院様三十三囘御忌被為當候ニ付、來ル廿 大詢院→細川治年
四日より廿六日迄於妙解寺御摂越御法會御執行被仰付
候、依之日數ともニ諸事相慎、火用心等彌可被入念候、
且又御法會刻限幷参拝刻限別紙書付二通相添候條、右書
付之通半上下着可有参拝候、尤下々至迄不形儀無之様可
被申付候、此段觸支配方えも可被相觸候、以上
八月十九日 奉行所
八六七
一太守様先月晦日依召被遊御登城候處、日光御靈屋向幷諸
堂社御修復御用被為蒙仰候、御到來有之、依之太守
様、少将様え御物頭列以上以便状御歡被申上筈候、且又
左之通
御郡代以下 御知行取 御中小姓
右は為御歡來ル十九日麻上下着、御家老中・御中老廻有
之筈候、此段可及達由御小姓頭中より申來候様、左様可
被相心得候、以上
九月十五日 御奉行中
八六八
口上書
一此度於西御丸御男子様御誕生被為在候得共、思召有之表
向御弘不被遊候處、近々御弘可被仰出、御名之儀は嘉千 嘉千代→德川家慶次男( 1819年 - 1820年)
代様と奉稱、御簾中様御養ヒ遊候、尤追て御弘被仰出候
迄は只今迄之通相心得候様御觸有之候、依之右之通唱之
名付居候者は改可申旨、従江戸被仰下候條、奉得其意、
觸支配方えも可被達候、以上
十月廿ニ日 奉行所
八六九
一少将様當年御本卦ニ付、格別之思召ニて此節犯罪之者共 本卦→本卦還り60歳
赦被仰出候、太守様え御相談之上従少将様赦被仰出候付
て、御知行取・御中小姓御暇被下、御勘気之者共被成御
免候條、右之通之者支配被致置候ハヽ、右之趣其者へ申
渡有之候様、且又御家中家來/\苗字大小取上、又ハ追
放被申付置候者共指免候ても障不申分は、主人心次第宥
免可被申付旨、御用番被申聞候條、左様可被相心得候、
以上
何某支配何某と申者有之候付、本行之趣申渡相濟候と
の儀書附を以達有之候様、且家來/\宥免有之候分も
右同断
十一月朔日 御奉行中
御家来幷寺社支配其外町在之者等、御咎被仰付置、當時
存命之者、且又缺落者之儀ニ付見合ニ相成儀有之候間、
別紙之稜々其支配方より不洩様、十一月廿九日限無間違
書附を以達有之候様可及達旨、御用番被申聞候條左様被
相心得、御支配方えも可被相達候、以上
文政ニ卯十一月朔日 御奉行中
覺
一苗字大小御取上被仰付置候者
但、御給扶持被差放候者は書出ニ不及
一御城下幷御郡追放又は所拂被仰付置候者
一脱衣・追院被仰付置候者
但、後住職難叶又は御刑法被仰付置候者ニ
右は何年何月ヶ様/\之筋ニて、如何様ニ被仰付置候
と申儀書出有之候様
一江戸・京・大坂御屋敷又は御國より、當十月廿九日以
前ニ致缺落候者之内、御隣國へ参居候儀も有之候ハ
ヽ、親類より及吟味何年何月如何様之儀有之、於何方
致缺落候との儀委敷書付差出候様
以上
十一月