津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■入札してみました

2019-01-22 21:30:35 | オークション

                                                 å¤ä»Šä¼æŽˆ 細川幽斎と和歌の道 新谷弘
                                                                         22:23 落札と相成りました。

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■「度支彙凾 文政元より五迄 法令條諭・十九」(3)

2019-01-22 06:57:04 | 史料

 八四六
一阿蘇谷之儀は阿蘇宮神制之譯有之由ニて、坂梨・内牧両
 手永之内七拾五ヶ所ニ傍示竹を被建置、鶴を取候儀は不
 及申、傍示内ニて鐵炮幷網締等用不申様、阿蘇谷方角之
 在々、右方角え在宅之御侍等えも御郡御奉行より可被申
 達置段、延享三年及達置候處、其後御様子有之、舊例ニ
 因て右傍示竹立方は被差止、宮地村八丁四方ニ傍示杭建
 候様寶暦二年御改正ニ相成、右傍示内ニて鐵炮幷網締等
 用不申様、右同断及達置候處、先達て阿蘇谷ニて鶴を殺
 候者有之不届之事候、以來彌以鶴を取候儀は不及申、宮
 地村傍示内ニて鐵炮獵幷網締等堅用不申様、若鶴抔持運
 候者有之候ハヽ押置相達可申候、自然心得違之者有之候
 ハヽ御吟味之上被仰付筋可有之旨、此節御郡代へ及達候
 間、左様被相心得、觸支配方有之面々は可被相知候、以上
   文政元寅九月十日      御奉行中

 八四七
細川與松殿儀、従太守様御預被為置候處、先月九日和泉      細川與松→宇土藩主8代立之の嫡男・9代立政(後の齊護)
 殿遺領相續被仰出候段、江戸より申來候、此段觸支配      太守様 →細川齊樹 立之の弟
 方えも相知せ可申旨、御用番被申聞候條被奉承知、觸支      和泉守 →宇土藩主8代立之
 配方有之面々は可被相知候、以上
   九月廿五日         御奉行中

 八四八
一上益城之内御場外ニて左之通
  鯰手永北甘木村之内柴林村、同手永井寺村之内小迫村      共に熊本県上益城郡嘉島町の大字
 右二ヶ村當分御鷹場被仰付、傍示杭木引直被仰付候、此
 段可及達旨御用番被申聞候條左様御心得、觸支配方有之
 面々可被相達候、以上
   文政元寅十月十一日     御奉行中

 八四九
一太守様御持病之御疝積、今以御出來不出來被為在、長途      細川齊樹の生母は、土井大炊頭栄昌院(福)である。
 之御旅行難被遊候、依之當冬中迄御滞府被遊度段御願書、     齊樹からすると大炊頭(利厚)は伯父にあたる。
 御用番土井大炊頭様え先月十三日御差出被遊候處、同十
 五日御願之通被仰出候段申來候、此段為被奉承知申達候
 條、觸支配方えも可被知置候、以上
   十月十八日

 八五〇
一貮歩判之儀御年貢幷諸向上納金は勿論、諸問屋拂・諸家
 為替納勝遠國為替等之儀も貮歩判取交可申候、尤皆貮歩
 判にても勝手次第候間、彌世上通用差滞申間敷候
   九月

 八五一
    口達
                    嶋田但見
一右者暫之内御政事筋、拙者共幷各中申談心附候儀は無遠
 慮申出候様ニと被仰付、御殿・政府えも折々罷出候筈ニ
 候、此談申達置候、御役人中えも可被知置候、以上
   十月廿九日

 八五二
一太守様為御保養、濱町御中屋敷え折々被遊御出度旨御願
 書、先月十三日御用番青山下野守様被遊御差出候處、即
 夕御願之通被仰出候段申來奉恐悦候、此段為被奉承知申
 達候條、觸支配方えも可被知置候、以上
   文政元寅十一月十五日

 八五三
    口上書
一來ル廿八日有隣院様二十五囘御忌被為當候貮付、御當朝      有隣院→細川重賢室由婦姫・久我右大臣通兄女 65歳
 於妙解寺御法會御執行被仰付候、依之右御當日諸事相慎
 火用心等彌以入念候様堅可被申付候、此段觸支配方えも
 可被達候、以上
   十一月十九日         奉行所

 八五四
一金銀掛合せ候分銅、寛文年中改以前之古分銅両替仲間ニ
 て遣候由相聞候ニ付、京・大坂・堺近郷之分潰等迄外ニ
 て賣買不致、潰直段を以後藤四郎兵衛方え買請させ、目
 輕古分銅を内々ニて賣買致間敷旨度々相觸候處、今度西
 國幷長崎筋ニては古分銅多賣買致し用候由相聞候、此以
 後内々ニて賣買致し候儀は勿論、不隠置四郎兵衛方へ可
 相渡候、尤四郎兵衛方より分銅改役人相廻り、紛敷分銅       
 は取上候筈ニ候、其趣急度可相守者也
 右之通先年より度々相觸、後藤四郎兵衛役人相廻り改候
 處、近來紛敷分銅をも用ひ候由相聞候ニ付、此度四郎兵
 衛方より分銅改役人相廻、紛敷分銅は取上候筈ニ候間、
 其趣急度可相守者也
 右之通御料は御代官、私領は領主・地頭より可被相觸候
   文政元寅九月

 八五五
一當秋作間ニは旱損も有之候得共、一躰豊熟之唱付てハ、
 米直段可致下落哉、少手取之内難澁可有之と、御手當御
 難澁之内なから、當暮渡之内手取米三ヶ一・御切米半方
 於御銀所御双場を以年内御買上被仰付候、尤米望之面々
 は米渡も不苦候條、左様被相心得、觸支配方有之面々は
 可被相達候、以上
   十一月廿八日        御奉行所

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