九〇三
一御國中痢病流行に付、於藤崎宮退除之祈禱被仰付、明廿
九日より五日五夜執行有之筈候、依之成就之上守礼申受
度面々は神護寺幷寺社中え承合可申候、勿論従上被仰付
候祈禱之事ニ付、銘々より奉納などニ不及候、尤御祈禱
中被致参拝度面々は是又不苦候條、左様御心得、御支配
方えも可被知せ置候、以上
文政四巳七月廿八日 御奉行中
九〇四
一當年御参勤小倉路九月十三日御發駕、例之通御達候事
九〇五
一未暑有之候ニ付、禮服之節は當前之服着用、其外は帷子
着用可為勝手次第旨被仰出候段、御用番被申聞候條、左
様可有御心得候、以上
九月朔日 御奉行中
九〇六
一御留守中御城代長岡内膳殿被仰付候、此段觸支配方えも 長岡内膳→内膳家7代・忠虎
知せ置可申旨、御用番被申聞候條、可被得其意候、以上
九月三日 御奉行中
九〇七
一漁獵被致候面々四季共耕作之隙不相成様との儀は、追々
及達置候處、遂年相弛候哉、春夏満水之時分地低之田端
網を入諸作を損し、潮塘・川塘幷井樋・碩所抔之石垣を
損し、又は引網等漁父均キ躰、或渡鳥時節ニ至候ては及
暮地鳥を當打いたし候儀も有之由、是等は向無心元候間、
以來右様之漁獵は屹ㇳ遠慮有之候様、若心得違候輩有之
候ハヽ、見■役人より姓名承届相達候様及達候間、家來 ■扌偏に乄=締
々々迄も不洩様申付候様、一統可及達旨候様、左様御心
得、御支配方えも可被相達候、以上
文政四巳十月七日 御奉行中
九〇八
一太守様舊臘廿九日依召御登城被成候處、篤姫様御事、細 篤姫→細川齊樹二女 12歳(14歳で死去、正式な結婚には至っていないと思われる)
川中務少輔殿え御縁組御願之通被仰出候段、御到來有之、 細川中務少輔→宇土細川家9代立政 19歳(後・本家相続齊護)
奉恐悦候、此段為被奉承知申達候條、御支配方えも可被
相知候、以上
文政五午正月廿三日 奉行所
九〇九
一眞鍮錢吹方先年被指止候處、遠國之内ニは未拂底之場所
も有之趣ニ候、猶又今度吹増被仰付候間、於國々も彌無
差支可致通用候
十一月
九一〇
和田十兵衛 和田十兵衛→5代・武学(左大夫・十兵衛・九兵衛)御鉄炮十挺頭・平野組 二百石
一御條目
宮川九十郎 宮川九十郎→6代 御留守居御番方組脇・上月半下組 二百五十石
此通上書いたし、裏ニ右両人之封印有之、其上を郡内
嶋之三幅ふくさに包有之
右之品先月十四日之夜、京町東裏仙勝院丁和田十兵衛宅 仙勝院→現・熊本地方裁判所(和田宅も同・仙勝院右隣)
より同所本町口角迄之間ニて宮川九十郎懐中より落し候
由、此品拾イ候者有之候ハヽ、早々可申出可指出候、御
品柄を恐レ申出候儀を相憚居候儀も可有之哉、拾イ候者
御咎等可被仰付様も無之、たとゐ開封いたし候とも不苦
候間、少も不憚可申出候、萬一拾候者後難を恐レ如何様
とそ取計たる儀も有之候ハヽ、是又有躰ニ可申出候、若
隠置追て相願ニおゐてハ其者屹ㇳ御咎被仰付候
右之趣御家中家來々々町在共一統可相觸旨、御用番被申
聞候條、左様被相心得、御支配方えも可被相達候、以上
文政五年午三月十一日 御奉行中
九一一
一於江府右大将様先月朔日より内府様と可奉稱旨、大大目 右大臣様・内府様→徳川家斉
付宗より御書附被差廻候、右之趣可相觸旨従江戸被仰下
候條、奉得其意、觸支配方えも可被相觸候、尤此觸状可
有判形候、以上
四月 奉行所
九一二
道中之儀ニ付、公義御觸達
一道中御奉行兼大目付岩瀬伊豫守様より、文政三辰五月廿 岩瀬伊予守氏記、文化12年~文政3年 南町奉行
五日御留守居御呼出、御書取を以具ニ被仰聞候趣有之候
付、御家中之面々心得方之通、左之通
御旅行幷御家中通行之節、荷物貫目重有之は宿駅於改場
所相改、重荷之分は貫目増丈ヶ割合を以賃錢等遣候得は、
子細も無之事候得共、混雑之折柄、於宿駅役人共も一々
改候儀不行届儀も有之候故、間二は各別重荷有之候様子
ニ付、以來精々心を用候様申諭候様被仰聞候、前文通御
内沙汰も有之候付ては、此末不都合之儀有之候ては難相
濟事候間、以來旅行之面々彌以御定法通相守貫目越不申
様、荷物宰領幷荷物付添之家來/\等えも堅可被申付候、
為心附荷物貫目御定法等之書附別紙相添候條、熟得候て
可有通行事
荷物貫目御定法
一一駄荷物 御定法四拾貫目迄
文化六年十一月道中御奉行井上美濃守様え御留守居よ
り伺有之候處、各別輕貮拾壹拾貫目迄候ハヽ輕尻之駄
賃ニて候由、御差圖有之
一乗懸下 御定法貮拾貫目迄
右同断伺有之候處、蒲團・中敷・跡付・小附一式にて
貮拾三四貫目迄は不苦旨、御差圖有之
一輕尻下 同 五貫目迄
右同断伺有之候處、蒲團・中敷・跡付・小附一式にて
輕尻乗不申候ヘハ、貮拾壹貮貫目迄ハ不苦旨右同断
一人足壹人 同 五貫目持
右同断伺有之候處、七八貫目迄ハ一人持之内貮て、九
貫目よりは二人持之由、尤一人半と申御情報無之由
江戸道中筋荷物貫目之儀付て、道中御奉行様御演達之趣
一統可及達旨ニ付、則書付相添候條、左様被相心得御支
配方えも可被相達候、以上
文政三年九月二日 御奉行中