津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「度支彙凾 文政元より五迄 法令條諭・十九」(13・了)

2019-01-30 07:08:34 | 史料

 九一六
一太守様御歸國之御暇御拝領物有之、支月廿四日江戸御發
 駕之筈候段御觸有之、其後大井川御越、朔日日坂御止宿     大井川川越遺跡
 之御觸有之、其後猶廿四日鶴崎御着岸、直ニ廿八日熊本
 御着座之御達有之候事
   御目見杭木出方之儀付ても御觸有之候事
                                                                                   クリックすると新しいウィンドウで開きます

 九一七
    借金銀之儀ニ付公義御觸
一借金銀返金相滞、金主及公訴、奉行所より裁許申渡候上
 は、右裁許之通可相守筈之處、近來切金員數甚不足ニ指
 出、又は武士方掛合候家來幷寺社在町方借方のものえ奉
 行より指紙遣候ても、其節々評定所え家來不指出儀も有
 之由不埒之趣相聞候、只今迄切金員數等之儀も甚寛政申
 付方候處、右裁許之通不相用猶不埒之取計有之間敷事ニ
 候處、旁不埒之事ニ候得共、先只今迄之儀は不被及沙汰
 候、向後は奉行所ニて嚴敷取扱、其上ニも不埒之輩有之
 候ハヽ、武士方ハ奉行より老中え申達候筈ニ候間、其節
 可遂吟味候條、以來屹ㇳ可相心得候、尤寺社在町方は奉
 行所ニて急度咎可申付候
 右之通寶暦九卯年・天明元丑年相觸候處、又々近比切金
 員數甚不足ニ差出候も有之由不埒之事候、彌先達て相觸
 候趣急度可相心得候、猶此以後不埒之儀も有之候ハヽ、
 奉行所ニて嚴敷取扱筈ニ候間、以來取計儀候家來共心得
 違無之様、主人/\より急度可申付候、尤寺社幷在町共
 同様之事ニ候
 右之趣可被相觸候
   文政五年午五月

 九一八
一江戸道中筋荷物貫目之儀ニ付、同中御奉行様御演達書幷
 貫目御定法等之書付相添、去九月一統及達候通ニ候、然
 處右貫目御定法と宿々之申分致違却候様子ニ付、猶道中
 御奉行様え御留守居より相伺候處、此節御定相成候書付
 御渡相成、書面之通相心得候様御差圖有之候段江戸より
 申來候、右之趣可及達旨ニ付、則別紙寫之相添候條、左
 様御心得、御支配方へも可被相達候、以上
   同年六月廿九日       御奉行中

 一長持一棹三拾貫目人足六人、此掛人足何人此賃錢何程
 一具足箱一荷拾貫目人足貮人右同
 一両掛挟箱一荷九貫目人足壹人八分右同
 一合羽籠一荷七貫目人足壹人四分右同
 一竹馬一荷四貫目人足壹人右同
 一挑灯籠一荷三貫目人足壹人右同
 一人足壹人持五貫目、或ハ六貫目有之候ヘハ壹人貮分、
  七貫目ハ壹人四分、七貫五百目ハ壹人五分割合
 一駄荷本馬一疋四拾貫目
 一乗掛下貮拾貫目、此外蒲團中敷・跡付共三、四貫目用
  捨
 一乗輕尻壹疋五貫目、此外小付三貫目ハ用捨
 一荷輕尻壹疋貮拾貫目、此外小付二、三貫目ハ用捨
  以上

 九一九
一御老中土井大炊頭様御卒去之段申來候、依之今日より日
 數三日諸事穏便可仕旨被仰出候條、奉得其意、觸支配方
 へも可被相觸候、以上
   七月廿六日         奉行所

 九二〇
一濱町様來春御歸府御治定被遊候旨八月九日御觸、猶來秋
 御發駕之段八月廿八日御觸之事

 九二一
一古金銀追て通用停止か被仰付旨、委細去年五月従公義御
 觸達之通ニ候處、遠堺会場を隔引替方届兼候族も可有之
 哉、御停止之際ニ至俄ニ引替可為難澁候間、此節別段之
 御仕法を以新金銀ニ引替可被渡下候條、御勘定所承合差
 出候様一統可及達旨候條、左様被相心得、御支配方へも
 可被相達候、以上
   文政五年午十月五日     御奉行中

 九二二
一御家中幷寺社被官又は家來分之者、在中ニ居住難成候は
 従前々之究ニ候、譜代家來幷一季抱之者も在人數より抱
 ニ相成候上は、早速主人屋敷え引取可申筈之處、近年相
 弛ミ間ニは在中ニ罷在候者も有之哉ニ相聞不埒之事ニ
 候、依之右躰之者も有之候ハヽ、早々屋敷/\え引取候
 様被申付、以後新二抱方之節も急速ニ引取候様、若無據
 子細も有之候ハヽ、譜代は五十日限・一季抱は廿日を限
 引取候様可被申付候、自然心得違等閑ニ押移候者も有之
 候ハヽ、糺方之上元々之通村人數ニ引戻被仰付筈ニ候
一今度御山藪ニ御家中立山等相改、根帳相達候様及達置候、
 依之御家中立山之儀は御惣庄屋・御山支配役罷出、立山
 預主等立會相改候筈ニ付、其通可被相心得候、尤主人々
 々えは預主等より可申出候間、為後日見届被置候様
 右之通可及達旨候條、左様可被相心得候、以上
   文政五年午十月廿五日    御奉行中

 九二三
一御傍示外二て筒獵いたし候儀は其分之事ニ候處、當六月
 大津手永岩坂村懸り白川筋ニ龜打ニ罷越、鐵炮ニて人を、
 誤り候もの有之段相聞候ニ付、被召籠被遂御穿鑿候處、
 溺死之者を龜と見誤り候て打候段相分候ニ付右之者は
 相當之御咎被仰付たる事ニ候、然處鐵炮を以鳥獣を打、
 網ニて魚龜を取候儀は普通之事候處、必竟異り候獵筋ニ
 よつて右之通之誤りも出來いたし候事ニ候、總て夏向は
 川筋四方共ニ人多く罷出候時分ニ候ヘハ、今後迚も萬一
 過誤出來も難叶事ニ付、以來鐵炮ニて右躰異り候獵いた
 し候儀ハ被禁候條、向後堅致間敷候、将又筒獵矢向ニ念
 を入候儀は勿論、地鳥・浮鳥等打候節は猶更矢向ニ心を
 用候様及達可申旨、御用番被申聞候條、左様御心得、御
 支配方へも可被相達候、以上
   文政五年午十二月廿日    御奉行所

 九二四
一御家中之面々歌舞伎見せ物等之場所心得方之儀付ては、
 文化二年二月及達置候通、一統慎方勿論之事ニ候、然處
 隠居又は其家内抔歌舞伎等見物のみニ罷越候儀は、強て
 被禁義ニも無之候得共、間ニは歌舞伎座之もの共え馴親
 ミ酒宴等ニ及候族も有之哉ニ相聞、右様之儀有之候ては、
 往々御奉公も可相勤子弟之輩も自然と其風ニ誘レ、萬一
 心得違等有之様ニ成行候ては難相濟、且若手之婦女子抔
 別て風俗之障ニも相成候事ニ付、以來右躰之儀無之様、
 寄々被示置候様有之度候事
 歌舞伎見せ物抔見物之節心得方之儀ニ付、別紙一通御用
 番被相渡候ニ付、寫之差廻候條、被得其意、御支配方有
 之面々は寄々可被示置候、以上
   文政五年午十二月廿九日   御奉行中


            (了) 

 今回を以て「度支彙凾 文政元より五迄 法令條諭・十九」は終了し、進捗率は89%に達しました。
次回からは「度支彙凾 文政六より十迄 法令條諭・二十」をご紹介します。

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