九一三(2)
一東海道富士川渡船留候節、是迄歩行越明候てハ馬越留候 東海道を渡る道 富士川舟運の歴史をたどる[PDF:941KB] - 国土交通省
節筈乗馬之分も越立不致處、乗馬之分は歩行越明候
ハヽ見計ひ、一艘ニ一疋乗ニて越立候筈ニ候事
一先觸いたし候處、人馬差支候旨を申、又は問屋宿役不居
合旨申之、或は酒手等ねたり、惣て旅人へ對し不法之筋
候て難打捨候ハヽ、御代官所は右役人、私領ニ候ハヽ其
所之役人へ申届候共、名前等相糺道中奉行へ申聞候共可
非致候事
右之通寛政元年相觸候處、近年又々猥ニ相成、殊ニ於貫
目改所諸荷物為改候儀難成なとゝ不法之儀申聞、幷江戸
雇人馬を以、品川或は板橋を継越、右宿々ニては継立候
姿ニ帳面ニ為記候向も有之由相聞不埒之事ニ候、以來宿
次荷物之分は何人持又は本馬輕尻附之、其荷主へ木札を
付差出可申候、尤役人改之節不可致違背候、且諸家旅行
之節御定人馬之儀ハ銘々心得之事ニて、先年増人馬之儀
幷朝夕継之儀道中奉行え可申達、其節限り承届、追々減
少之儀申達置候處、今以減少無之向も有之由相聞際限も
無之事ニ候、御定外人馬入用之分は相對之賃錢を以相雇
歟申筋候間、此旨相心得、彌寛政之度非仰出候趣急度可
非相守候、是迄作法宜旅行致候ものも有之由相聞尤之事
ニ候、猶此上無遺失様相心得可被申もの也
一都て道中往來いたし候者、宿々ニ對しかさつ成儀不致、
荷物貫目も彌改所ニおゐて相改候間、御定之通相守可申
候
一百姓町人賣荷之分、宮門跡方・堂上方其外重キ家柄之會
符、手寄を以借受致往來族も有之趣相聞候、以來宿々役
[ニ缺ヵ]
人差出相改、若紛敷會符荷物は留置、奉行所おゐて嚴敷
[候缺ヵ]
可被令吟味條、紛敷會符決て相用申間敷候
一往來之旅人より宿役人は勿論馬士・人足幷旅籠屋等へ對
し、不法之儀於有之は、奉行所へ訴出候筈候間、兼て其
旨可存候
一河々渡越之儀、川會所へ相懸り河越人足相雇、順々ニ越
立可申筈之處、近來は川越共遠方迄出迎旅人を欺キ、過
分之賃錢酒手等ねたり取、旅人も河會所へ懸り候ては、
出水之時節又は夜越等危故人足不指出砌、川越共ニ相對
を以渡越シいたし候趣相聞候、依之以來は往來旅人川會
所へ相懸、人足相雇川越可致候、尤極賃錢之外酒手等ね
たり候歟、又は以後旅人と直相對致候ハヽ御仕置非仰付
段嚴敷申渡候間、相雇候人足酒手等ねたり候共聊も不差
遣、川役人共之内ニ其旨相達往來歟致候
一宿々馬士人足等、旅人へ對定賃錢之外酒手等ねたり、旅
人難儀致候由相聞候、已來右躰もの嚴敷御仕置非仰付候
間、其者名前次宿之役人共へ申達候共、又は御料は御代
官役所、私領は領主・地頭役人へ申出候共、道中奉行へ
訴出候共可致候
一東海道筋宿々之内、祝儀取と唱、江戸・京・大坂其外よ
り持出し候通日雇人足より酒手等ねたり取候由、通し日
雇人足共より、若途中ニて病気等之節ハ、右祝儀取共世
話いたし候故、常々酒手等遣置候儀も有之趣ニ相聞、不
筋之事ニ付、通し人足稼之者共、若道中ニて病気等之節
ハ問屋役人へ申聞候得は、差支之儀無之條、以來祝儀取
抔と唱候所行不致様、急度申付候間、酒手等遣候儀致間
敷候
一右通し日雇人足共儀、宿々ニて品々不法不束之儀も有之
趣相聞不届候、以來右躰之儀有之ニおゐてハ、當人ハ勿
論受負候者迄可為曲事候條、急度可相慎候
右之通寛政元年相觸候處、近來又々猥ニ相成、殊ニ往來
之旅人宿駅間之村々或は神社仏閣参詣等ニ事寄、門前地
茶屋等へ止宿いたし候者共も有之趣相聞候、宿駅之外ハ
一切止宿致間敷候、此旨相心得、彌寛政之度相觸候趣急
度歟相守者也
右之趣在町共御料は御代官・私領は領主・地頭より不洩
様可被相觸候
十月
道中心得之儀付て、水野出羽守様被成る御渡候御書付寫、 水野出羽守→老中・水野忠成
代御目附衆より日指廻候、右御書付之趣歟相觸旨、従江
戸非仰下候付、則寫之別紙貮通相添候條、奉得其意、觸
支配方へも可被相觸候
文政五年午閏正月廿三日 奉行所
九一四
一旅行之節若泊付無之、先觸非差出候向有之候ては、於宿
駅人馬觸當は勿論、旅宿手當等も指懸取計甚及混雑候趣
ニ付、泊付無之先觸は差出無之様可被致事
一旅宿駅相對を以人馬不被相雇、為継送候荷物ニても貫目
改所ニおゐてハ一同相改候事
一都て宿継荷物之儀、貫目ニ應人馬賃錢受取候間、二人前
或は三人前ニも向ひ候程之人足相撰、為持送候節は、賃
錢拂立之人數より相減し、又は弱人足ニ候得は人數相増
候儀も可有之、賃錢は貫目次第之儀にて人數之多少ニ不
拘筋ニ付、為心得申達置候事
九一五
一美濃路旅行之儀在所へ順路之面々は各別、是迄勝手ニ付
旅行致し來候面々届等無之向も、以来は其時々相伺可申
旨、御家中は一日ニ人足七八人・馬三四疋位迄之儀と相
心得候様、道中御奉行衆より御達有之候付、以來美濃路
旅行之面々は、伺濟之上ならてハ通行不相成候、尤美濃 東海道・宮宿と、中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)
路と號候ハ、東海道熱田より中山道垂井迄之事之由候間、
木曽路旅行之面々は是迄之通相替儀無之候、此段觸支配 木曽路→中山道(狭義:木曽街道)
方へも可及達旨、御用番被申聞候條、左様被相心得、御
支配方えも可被相達候、以上
文政五年午四月十九日 御奉行中