後にNHKの名物アナウンサーとなられた鈴木健二アナウンサーは、昭和28年当時は熊本放送局に居られ、6月26日の大水害の時は熊本市城見町にあった局舎から、刻々と増す水嵩から逃れるように上の階へ避難しながら実況を続けられたという。
後に、熊本放送局は千葉城に局舎が建設された。昭和37年の着工だとされる。
この場所では多くの横穴古墳が発見されている。つまりしっかりした岩山であったことが判る。出田氏の居城であったとされこの局舎部分が天守、県立美術館分館あたりが二の丸、一段下がった高橋公園は旧JTの敷地であった所が三の丸であったとされる。出田氏時代700位の人たちがこの城に在ったという。
その建設の途中周辺で上記の多くの横穴が見つかった。また後日には延長20mにも及ぶ抜け穴と思しき穴が発見され、現在の城東中学方向に向かっている。20度ほどの勾配で、階段状でありその先は崩壊が見られて出口は確認できていないとされる。
そしてもう一つそれらしい穴の存在が認められたが、既にその時はその上を工事用のブルトーザー等が走り回っており、危険が及ぶということで調査はストップされた。
かっての宮本武蔵の屋敷跡あたりに出ていたのだろう。下りた目の前は坪井川の流れがあった。
現在は崖下にへばりつくように、熊本市教育センターや熊本西社会保険事務所が建っている。
調査に当たられた文化課長・鈴木喬先生は「抜け穴であろう」と熊本市北部地区文化財調査報告書(S44版)で述べて居られる。
熊本城に於いても抜け道の話はある。不開御門から急阪を降りて、県立美術館分館の後ろの坂を下れば行く先は同じである。
坪井川の水運が避難路と考えられていた。出田氏の時代も、加藤氏の時代も緊急時の脱出法としてこのような具体的な形が残されている。
その庁舎も今は解体され、NHKは桜町の一等地に局舎が建てられ移転している。
大変気になるのはその跡地の使い道である。何か施設が出来るのであれば、この謎の抜け穴を是非調べてもらいたいと切に願うものである 。
平成肥後国誌の編者・高田Drの取材メモ、熊本放送局内にあった説明版でしょうか。
平成8年の年賀ハガキのお年玉抽選番号の刷り物の裏紙が使われていました。