千葉城については今まではあまり語られてきませんでしたから、この機会に大いに勉強しましょう。
「熊本市政だより」から
昨日の熊本日々新聞に次のような記事があった。
熊本市横手の下馬天神の方から熊本駅に向かうためには、大きく道を蛇行して突然クランクを二度曲がらなければならない。運転手泣かせの道路だ。
ここに話題になっている「宝光院」の墓塔が高架下のフエンスの中にポツンと残されている。
今ではすっかり流路を替えたが、往時は井芹川が妙解寺前をながれ、新町を迂回してきた坪井川と合流し、その合流部の三角部分に臨流庵という塔頭があった。
その合流した川沿いに妙解寺の敷地内の南寄りに、宝蔵と宝光院・智照院という二つの塔頭があった。
JRが高架を建設するにあたり、光尚の弟・尚房の一族が眠っていた智照院跡にあった墓地は文化財の調査の手が入り、墓地は高台に移転された。
うえの地図に「九州新幹線」と書き込みがある辺りである。大方は現在高架に並走する道路になってしまっている。
宝光院跡地は変則に蛇行する辺りの内側の土地、妙解寺が文化財指定地域であるため、これを守るために柱を立てないように鉄道橋が懸けられたという訳だ。
さてこの宝光院とは誰かということでお尋ねがあった。これは妙解寺の第二世住職で光尚の弟の天岸和尚の生母・金子氏の事である。
新聞では院主とあるが、実は院主の御生母である。母を偲んで塔頭にその名を付けたとされる。
天岸はもともとは細川家のお墓がある京都の大徳寺の僧であるが、後には又戻っており、お墓はその大徳寺に存在する。