産地偽装問題で熊本産アサリは一敗血にまみれてしまった。中国産アサリの稚貝を輸入して熊本で育て熊本産というブランドに仕立てたというものだ。
全国で叩かれたが自業自得と言わなければならない。
今般正真正銘の熊本産熊本アサリの入札会が行われ、改めて熊本ブランドの回復に努力していかなければならない。
失った信用を回復させるのは並大抵のことではない。
江戸っ子は根生いの江戸住民をさすが、流れて江戸住民となっても差別があったらしい。
江戸で三代ともいうが、どうもそうでもないらしい。
京都に於いては、洛中生まれの人だけが京都人らしい。京都市生まれながら京都人でない井上章一先生は、その著書『京都ぎらい』の中で憤懣遣る方ないという態である。
熊本在住の著名な評論家・渡辺京二氏の「熊本県人」を呼んでいるが、彼は京都府伏見の出身だが父親の仕事の関係で中国に育ったという。
17歳の時母の実家がある熊本に疎開してきた。大学進学で熊本を離れ、福岡で塾の講師をしたりしている。
熊本に定住したのがいつの頃なのか承知しないが、水俣病が発生した後、石牟礼道子氏などと行動を共にしている。
氏が取り上げている熊本人は、熊本に入国した初代・二代という完全に熊本人になり切っていない人も多い。
そんな人たちを取り上げて、熊本人気質のようなものを語るのは如何かとも思う。
この本は、少し偏屈な人物を俎上にした形成過程的熊本人論である。
中国産の種アサリを育てて「熊本アサリ」にしたように促成栽培とはならぬ。長い時間が必要であった。
武士たちの出自は雑多であり、言葉もいろんな国のものが入交り、長い年月を経て取捨選択されて今日の熊本弁になったのであろう。
排他的で「俺が/\」気質は、人を育て大事を行うには向かない。鹿児島人とは似ても似つかない。
明治に至り軍人や言論人・教育者を輩出したが、大きな財を成す大商人は育っていない。
宝暦期の紀行家・古川古松軒は、旅の途中の熊本には白壁の藏を見ることがなかったと書いている。
中国産の種アサリは何代すれば熊本アサリのブランドを得るのだろうかと、素朴な疑問をもっている。