津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大河原さんちの大木は柊?たぶのき?

2022-04-03 08:29:49 | 先祖附

 熊本では大河原という名はあまり聞かない。大河原氏は「武蔵国、陸前国、出羽国、常陸国、筑前国の丹治氏、丹治姓の大河原氏、藤原姓児玉党の大河原氏、橘姓清和源氏の大河原氏、美作橘姓の大河原氏、岩代国、加賀藩の大河原氏」などがあって、肥後の大河原氏の出自はよく判らない。
しかし光尚の時代に召し出された様で、真源院様御代御侍名附や真源院様御代御侍免撫帳に千石とあるから、それなりの人であったのだろう。
現在の熊本県立美術館の後ろにはかって空堀があった。その空堀の西側と二の丸から住江門を出て藤崎八旛宮へ向かう道の角にこの大河原氏の屋敷があった。
この屋敷の西側の道が「柊坂」という。大河原氏の屋敷の中に「柊」があったことに由来するが、一方「たぶのき」であったという話もあり「たぶのき坂」だとも呼ぶ。
「柊」と「たぶのき」では大いに違う。
肥後国誌を広げると「「宮内より古京町に下る筆崎の下、志水氏岩間氏門前の坂を云う。大河原氏屋敷内大柊の木あるか故に名付く。近年枯木になる。」とある。
一方、「舊藩時代熊本城全圖」には「タブノ木坂」、「明治初期熊本の地名」図も「新タブノキ坂」。「大正八年熊本市全図」も「タブノキ坂」になっている。
察するにもともと「柊」がありこれが枯れたのち、「たぶのき」が植えられたと解釈すれば納得がいく。
大河原氏屋敷は現在の熊本県護国神社あたりだが、西南戦争の際には被災したのだろう。

                                         

コメント
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