昨日付けの熊本日々新聞に、二面に渡り「熊本城復興支援キャンペーン第四弾」として「古城地区に残る最古の石垣の魅力」という特集記事が掲載された。
その中で興味深いのは熊本城研究センターが2021年度の成果として発表した、この古城地区の地図だ。
古城は現在の熊本第一高校の校地と考えてよいが、左の図によると、校地のグランド部分は往時は白川の大蛇行に飲み込まれていたことが判る。
これは校地の川よりの端の地盤調査から、厚さ数メートルに及ぶ版築の跡が確認されたことから推測されていた。
しかし、鹿子木氏から城氏、佐々氏、そして加藤清正の半国時代のお城・隈本城の範囲や、各郭の名称が表示されており大変興味深い。
「のこる丸」は他の郭には「〇〇丸」と名がついているが、ここは名前が付けられずにあったからその名の由来であるという。(熊本城天守閣常設展示図録p19)
これらの名称の出典を知りたいと思う。
ある方からメールをいただき、数十年前社員旅行で熊本を訪れバスの中で聞いた歌だといって、次の歌詞をお送りいただいた。
いい歌なのでメモしたが、完全には覚えきれず、バスを降りる時にガイドさんに聞いて書き残されたという。
肝心の曲の名前を忘れてしまったが、なんという曲だろうかとのお尋ねである?
心一筋銀杏の城は石垣武者返し
森の都に立ちつくす雄々しき姿よ
侍の/\故郷よ
どうやら熊本城の歌らしいが、私にはとんと見当がつかない。ググってみてもよく判らない。
何方か御存知であればご教示いただきたい。
有難いことにお一人はコメント、お一人はメールでご教示いただいた。感謝。
なんと「火の国旅情」の28番ある歌詞の24番目にあった。熊本国府高校のサイトに全部の歌詞が紹介されていた。
作詞・中沢昭二+岩城宏一、作曲・岩城宏一の歌で歌手は葵ひろ子、森繁久彌も歌っていたような気がする。
地元のバッテン荒川も歌っていたが、団体のバス旅行であれば、バスガイドさんの定番の曲だったろう。
なんだか私も、かっての勤め先の忘年会などで歌ったような記憶もあるが、この歌詞はしらない。
ひそかにメモって、機会があれば歌ってみよう。
ふと熊本の歌人・安永蕗子氏の次の歌を思い出した。
楠若葉はやくれなゐに炎ゆるなり
城下しばらく男の町なれば
こちらは熊本地震後の私の駄作
そそりたつ高石垣のくづれ落つ
楠の若葉のまぶしき中に