津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大徳寺惣(総)見院宛、三斎書状

2022-08-10 08:32:46 | オークション

        細川三斎(忠興)書状 掛軸 物見院宛 高桐院容堂紙中極

            

 京都の大徳寺総見院に宛てた三斎の書状である。同じく高桐院の容堂というお方の極書がついているから、三斎の真筆に間違いないだろう。
随分高値になりそうな予感がする。
私はと言えばとても手が出ないから、せめて何が書いてあるのかを探求させていただこうと思う。
極暑の中、また最高記録を更新しているコロナ禍の中、恰好の勉強の手本である。感謝・・

 

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■沢田延音という人物

2022-08-10 06:48:12 | 徒然

 「御大工棟梁善蔵ゟ聞覺控」という、貴重な記録を書写資料として残してくれた沢田延音について、いろいろ調べてみたが闇の中であった。
先に「新聞記者」とご紹介したのは、熊本県立図書館の レファレンス事例詳細にあった質問に「熊本出身、新聞記者で郷土史家の沢田延音(さわだ・のぶね)の没年を調べている。なにか資料がないか。」というものがあり、ここから引用した。
しかし回答は芳しいものではなく、人物像が浮かんでこない。
この資料は「民政記録」という雑多な記事がとじ込んである、手書き資料である。
これを詳細にみていたら、「昭和33年10月16日、於河島書肆写之 沢田延音」といく書き込みを見つけた。
舒文堂河島書店で本は買わずになにやら写し取ったという事であろう。
先にこれらの事をご紹介した処、熊本史談会の若い友人・中村裕樹君が貴重な記録を見つけてくれた。
これは同書肆の先代社長・又生氏の著の中に唱和15年の話として紹介されているという。
若くして膨大な歴史関係の本を収集している彼の頭の中はどうなっているのか知らないが、こんなことまで即座に調べてくれた。感謝・・
さてその一文が以下のものである。

                

 「澤田延音という爺さん来店。安い歴史の本を買われた。」とある。名刺を二枚おいて行かれたというが、新聞記者の肩書はない。
又生氏にとっては大変印象に残ったのだろう。初めての御客だったかもしれない。
この延音氏、熊本の人ではあるようだが、氏の著作をみると鹿児島に関する者もあって鹿児島住まいも納得いく。
河島又生氏は昭和15年当時延音を「爺さん」と書いて居られるから、上記書写記録が県立図書館に収められた昭和33年当時は、相当なお年であったろうことが推察できる。
ただ、これ以上の事は判らない。
よくぞ熊本県立図書館に収められたことに感謝したい。そして中村君に感謝。

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