津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■インターネット復帰まで

2022-08-16 13:57:40 | 先祖附

 インターネットがつながらない原因は、NTTの機器の不具合が判明、ソフトバンクのコールセンターに電話をして待つこと約30分、縷々説明する事約7分、ソフトバンクからNTTに連絡を入れてもらい機器を交換してもらうことにする。
そこでNTTからの連絡待ち、いつ電話が入るのかもわからないから携帯を常時持っておかなければならない。
電話は二回までだそうで、着信に気が付かなかったでは少々まずいことになる。
急遽充電して準備万端連絡待ちである。
私は携帯のテザイングからWiFiを可動してインターネットを動かしているが、奥方のPCが動かすことが出来ずにいる。
買物情報を眺めることが出来ずにいる。
今日中にはNTTから連絡があると思うが、機器の交換は明日だろうか、明後日だろうか?
待ち遠しい事ではある。それにしてもNTTの機器に不具合が生じるとは・・・??

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■文章のニュアンスから察せられること

2022-08-16 06:37:44 | 徒然

 熊本城顕彰会の会誌は現在「復刻第126号」まで来ている。復刻1~41号分は「合本」を購入して持っている。
その他は68号からしか持っていないので、42~67号は持っていない。42~90号までは合冊№2が出ているから購入しようと思っている。
2・5・8・11月の季刊で送られてきた時精読すればよいのだが、なかなかそれが果たされず、今読み返しを行っている。
そして新たな発見をするのである。

    富田紘一先生の最近の「茶臼山ト隈本之絵図」に対するコメントは、その文章のニュアンスから、絵図に対して疑問をお持ちのような感じが察せられる。その文章は以下のようなものである。

  「茶臼山ト隈本之絵図」と題する鳥観図が「新熊本市史絵図地図帳」に収録されている。その中には千葉城も古城も
  なく、その築城以前の中世絵図として一時注目された。しかし、その後判明した、白川の大蛇行が描かれておらず、
  あまりに「肥後国誌」などの記述と合致するため、地誌の成果を絵にしたものと考えられる。話題にはなるが、これ
  を基礎資料として歴史を考えると間違いになる。描いた用紙も便箋で、近代の描写といえる。今のところ中世の確実
  な資料はなく、第Ⅰ期のおける具体的な状況を知る手立てはない。

 第一高校のグランドあたりから、桜馬場、竹の丸あたりは坪井川(蛇行した白川)の河岸であり、後背地は切り立ったがけ地であったろうに、そのような描写もなく、私は大いに疑問をもち、なんとかその崖地の状況を書き加えてみようと頑張ったことがある。徒労に期したことはひとえに私の才能のなさの故である。
考えてみると単純な絵で、坪井川が白川の長六橋当たりに流れ込み、左手に井芹川が縦方向に書き込まれている。
坪井川が新たに開削される前の状態(大蛇行の入込を埋め、白川が直流化した状態)とも見て取れる。

 先生は御病気だとお聞きする。是非お目にかかってお話を伺いたいと思うし、私たちの疑問もぶつけてみたい。

 

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