■薮 内藏允は、(南東35-1)薮 一家の7代目。名は政純、内蔵允と称す。食禄三千石家老職となる。精神強健、謹直能く其職を勤む。
文政七年四月七日没す。享年六十八。墓は横手町四方地。
以下の薮一族の祖は、中村一氏に仕えた内匠・政一(初・弥次右衛門 忠綱)壱万二千石。忠興代に豊前に於いて召し出し。
家紋は「まんじ紋」
■薮 藤右衛門は、(南東35-3)薮 市太郎家の10代目。6代目が薮慎庵、7代目が市太郎(槐堂)である。家紋は同上。
■薮 泰喜(記)は、(南東35-4)薮 小吉郎家の2代目。父茂次郎(孤山)は上記薮慎庵の二男で創家が認められた。家紋は同上。
■薮 源太は、(南東35-2)薮 九十郎家の7代目吉三(源太)。家紋は同上。
+--大隈 +--右衛門==丹左衛門---兵左衛門---丹左衛門---源太---隼之允 (九十郎家)
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藪伊賀守----内匠--+--図書--------+--図書------三左衛門----右膳----弥次右衛門----内蔵允 (一家)
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+--三左衛門 +--熊之允(御暇)
| (紀州藪家)|
| +--丹左衛門(兄・左衛門養子)
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| +--源太左衛門(男子なく断絶)
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+--市正--------+--惣左衛門----弥次左衛門----久左衛門----+--市太郎 (市太郎家)
| (槙庵) | (槐堂)
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| +--茂次郎 (小吉郎家)
+--権左衛門(男子なく断絶) (孤山)
■薮田斉は、(南東34-2)薮田 道家の4代目。遠祖は柳沢吉保の家老・柳沢市政。初代はその子、外記綱利様召出・五十人扶持 着座 後・八百石。
家紋は「隅切り平角に□□」「五枚笹紋」
■山本三四郎は、【青龍寺以来】(南東35-5)山本八郎家の8代目、文化五年閏六月(留守居小姓触頭)~文化十四年三月 八代番頭。
初代・三郎右衛門は【田辺城籠城】能なども良くした。家紋は「丸に六つ鉄線」
■山本理兵衛は、(南東35-6)山本五門家の5代目、名は兼雄、藩に仕へて時習館記録調、御系譜調根、肥後国誌調御用掛
等を勤む。文化六年十一月廿二日没す。享年六十九。家紋は「三つ笹竜胆」
■山崎助左衛門は、(南東35-12)山崎定平家の4代・助之允(助左衛門)、(1)御小姓頭 五百石(2)十挺頭 五百石 宝暦六子八月十一日当役
(3)文化元年四月(番方)~文化四年四月 高橋町奉行 文化元年十月本役、後三拾挺副頭
家紋は「丸に三つ星」
■山崎角弥は、(南東35-13)山崎半十郎家の7代目。家紋は「丸に細桔梗」か?
■山崎平助は、(南東35-14)山崎平太家の4代目、村多(平大夫・平助・太郎左衛門)御側御鉄炮十五挺頭・御中老支配 座席持懸二而御使番
・長崎御留守居、文化元年頃~□□ 野津原鶴崎郡代。家紋は「 」
■山羽大八は、(南東34-16)山羽猪一郎家の5代目。家紋は「矢筈」「丸に毬挟み」
■山野勘左衛門は、(南東34-12)山野新太郎家の6代目・角弥(浅右衛門・勘左衛門)家紋は「三つ扇」「七宝に山の字紋」
■山内八左衛門は、(南東35-15)山内 山家の7代目。家紋は「丸に一文字紋「丸に土佐柏紋」
■山内仁左衛門は、(南東35-17)山内九平太家の7代目。家紋は「隅立井桁に丸紋」
■山形辰之允は、(南東34-15)山形典次郎家の5代目辰之允(八四平)。家紋は「三つ山形紋」
■山路弥作は、(南東34-5)山路弥十郎家の7代目。家紋は「丸に卍紋」
■山中龍八は、(南東34-3)山中嶋太郎家の5代目。家紋は「丸に違い鷹の羽紋」
■山尾藤右衛門は、(南東34-25)山尾 保家の7代目喜内(藤右衛門)。家紋は「丸に松皮菱紋」