津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(39)

2022-08-04 13:54:54 | 家紋

                                       
                                        新・肥後細川藩侍帳【や】の部

薮 内藏允は、(南東35-1)薮 一家の7代目。名は政純、内蔵允と称す。食禄三千石家老職となる。精神強健、謹直能く其職を勤む。
      文政七年四月七日没す。享年六十八。墓は横手町四方地。
      以下の薮一族の祖は、中村一氏に仕えた内匠・政一(初・弥次右衛門 忠綱)壱万二千石。忠興代に豊前に於いて召し出し。
      家紋は「まんじ紋」
薮 藤右衛門は、(南東35-3)薮 市太郎家の10代目。6代目が薮慎庵、7代目が市太郎(槐堂)である。家紋は同上。  
薮 泰喜(記)は、(南東35-4)薮 小吉郎家の2代目。父茂次郎(孤山)は上記薮慎庵の二男で創家が認められた。家紋は同上。  
薮 源太は、(南東35-2)薮 九十郎家の7代目吉三(源太)。家紋は同上。

               +--大隈    +--右衛門==丹左衛門---兵左衛門---丹左衛門---源太---隼之允 (九十郎家)
               |       |
      藪伊賀守----内匠--+--図書--------+--図書------三左衛門----右膳----弥次右衛門----内蔵允 
(一家)
               |       |
               +--三左衛門  +--熊之允(御暇)
               | (紀州藪家)|
               |       +--丹左衛門(兄・左衛門養子)
               |
               |       +--源太左衛門(男子なく断絶)
               |       |
               +--市正--------+--惣左衛門----弥次左衛門----久左衛門----+--市太郎  
(市太郎家)
                       |              (槙庵)  | (槐堂)
                       |                    |
                       |                    +--茂次郎  
(小吉郎家)
                       +--権左衛門(男子なく断絶)         (孤山)

薮田斉は、(南東34-2)薮田 道家の4代目。遠祖は柳沢吉保の家老・柳沢市政。初代はその子、外記綱利様召出・五十人扶持 着座 後・八百石。
    家紋は「隅切り平角に□□」「五枚笹紋」  


山本三四郎は、【青龍寺以来】(南東35-5)山本八郎家の8代目、文化五年閏六月(留守居小姓触頭)~文化十四年三月 八代番頭。
    初代・三郎右衛門は【田辺城籠城】能なども良くした。家紋は「丸に六つ鉄線」

山本理兵衛は、(南東35-6)山本五門家の5代目、名は兼雄、藩に仕へて時習館記録調、御系譜調根、肥後国誌調御用掛
    等を勤む。文化六年十一月廿二日没す。享年六十九。家紋は「三つ笹竜胆」  

山崎助左衛門は、(南東35-12)山崎定平家の4代・助之允(助左衛門)、(1)御小姓頭 五百石(2)十挺頭 五百石 宝暦六子八月十一日当役
    (3)文化元年四月(番方)~文化四年四月 高橋町奉行 文化元年十月本役、後三拾挺副頭 
    家紋は「丸に三つ星」 

山崎角弥は、(南東35-13)山崎半十郎家の7代目。家紋は「丸に細桔梗」か?  

山崎平助は、(南東35-14)山崎平太家の4代目、村多(平大夫・平助・太郎左衛門)御側御鉄炮十五挺頭・御中老支配 座席持懸二而御使番
    ・長崎御留守居、文化元年頃~□□ 野津原鶴崎郡代。家紋は「  」  

山羽大八は、(南東34-16)山羽猪一郎家の5代目。家紋は「矢筈」「丸に毬挟み」

山野勘左衛門は、(南東34-12)山野新太郎家の6代目・角弥(浅右衛門・勘左衛門)家紋は「三つ扇」「七宝に山の字紋」

山内八左衛門は、(南東35-15)山内 山家の7代目。家紋は「丸に一文字紋「丸に土佐柏紋」

山内仁左衛門は、(南東35-17)山内九平太家の7代目。家紋は「隅立井桁に丸紋」

山形辰之允は、(南東34-15)山形典次郎家の5代目辰之允(八四平)。家紋は「三つ山形紋」

山路弥作は、(南東34-5)山路弥十郎家の7代目。家紋は「丸に卍紋」

山中龍八は、(南東34-3)山中嶋太郎家の5代目。家紋は「丸に違い鷹の羽紋」

山尾藤右衛門は、(南東34-25)山尾 保家の7代目喜内(藤右衛門)。家紋は「丸に松皮菱紋」 

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■大先輩の後ろ姿

2022-08-04 06:49:06 | 先祖附

 少々知りたいことがあって先輩の著書のページをめくっている。

                                                       

    熊本史談会の最長老・木庭實治氏は今年御年95歳、少々耳が遠く成られたが至ってお元気である。
15年前「菊地木庭城と木庭一族」を上梓され、地元新聞社の「熊日マイブック出版賞」を受賞された。
当時熊本史談会に於いて、そのことを報告された。お祝いを申し上げたら、この本を差し上げますと仰ったので即お願いして後に頂戴した。
そしてそのことをブログに書いている。
木庭氏についてその後私なりに調べた資料を差し上げたりして、大変喜んでいただいた。
私は当時65歳、木庭氏は80歳である。当時の木庭氏の年齢に私が到達した。
私も何か書いて生きた様を残したいと思うが、どうやらこれはかなえられそうにない。
大先輩の年齢まで生きる自信はみじんもないが、その探求心旺盛な大先輩の後ろ姿を追いながら、未だ完成を見ない「新・肥後細川藩侍帳」を仕上げなければならないと肝に銘じている。

毎日の極暑と、いまだ増殖を続けるコロナ禍のなか、いささか生きる自信を無くしつつある。
今月の史談会では、私が講師を務めてお話しする機会を頂戴した。
そのためにいろいろ勉強をしているが、少々テーマがでかすぎて大丈夫かなと心配が増してくる。
もうそろそろ、こちらの方も終わりにしたいと思っているから、ちゃんとお話をして終わらせたいと願っている。


 

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