津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■子飼商店街は白川だった説

2022-08-17 08:37:07 | 熊本

 肥後国誌を読むと「白川」の項に「里俗ノ説ニ」としていくつかの白川の流路が紹介されている。
これには五説あり、富田紘一氏は「加藤清正-築城と治水」の中の「加藤清正の熊本城と白川・坪井川大改修」に於いて図にして紹介しておられる。
その第一は「今ノ千反畑正蔵院ノ南ヲ流レ末ハ田畑ヨリ長六橋ノ上流ニ出タリト云」とある。
これは現在の子飼橋あたりから、鋤ノ身崎あたりへ誠に不思議な道筋があるが、現在「子飼商店街」として庶民に愛される小さな道筋である。
これがまさに、その白川の流路であったというのである。そういわれると、この不自然に走る道筋が川の跡だとすると、大いに納得できる。
そういう理解でこの町周辺を眺めてみると、また視点がかわっていろいろな発見があるかもしれない。
ここに出てきた「正蔵院」の脇には、かっては「チョット観音」があったとされる。
これは熊本城築城に際し、茶臼山の頂上にあった観音堂とここに御移り頂いたと伝えられる。チョットの期間であったのだろうか、その行方は知れない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする