津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■忠利の腹

2022-08-31 10:11:46 | 歴史

 加藤忠廣の改易による大国肥後の新しい国主について、隣国豊前の細川ではないかとの噂は早い段階でちらほらあったようだ。

寛永九年八月十六日の忠利が内藤正重(秀忠側近・5,000石)に宛てた書状(1726-抜粋)には次のようにある。

            肥後之國我等ニ被下度由 かやうの大國ハいつかたにても所望ニ
                       (かえって)
            御座候へ共 ゆゑなく拝領ハ卻而餘のそしりいやにて候間
            もとのまゝがましかと存候 おかしく候 恐惶謹言
                八月十六日

                内外記様
                     御報

噂話であるからそうそう嬉しがって返書を認めるわけにも行かず、一応殊勝な感じである。
実はこれ以前、忠利が肥後國を希望する書状が存在するのである。畏友榊原職直(当時・御書院番頭、後・長崎奉行)に宛てた六月十三日の書状(1589- 抜粋)がある。

           肥後ノ國へハ誰が可被遣候哉 是ハ能々被成御思案可被仰付と存
           候 御仕置ハ此國主ニ而大かたかたまり可申と内々存候 と角か様
           ニ遠國ニ居申候は 肥後へ参度候 御出頭候而可頂御取合ニ候 さ
           れとも我等ごときの草臥もの彼國へ参候ハゝ 御ためニも成ましきと
           存笑申候 此國主ハおそく候ても 末々まて可然様ニ仕度事ニ候事

親しい間柄の人物とはいえ、幕府の要職にある人に対しての書状としては、いささか軽口のそしりはまぬがれないところであろう。
三齋が知ったら大目玉ものである。 

そして十月四日江戸城にて忠利に肥後転封が命ぜられるのである。
予想していたとはいえ、自ら望んだ大國熊本を拝領した忠利の気持ちは如何ばかりであったろうか。
この時期の忠利の書状は到って少ない。自らが江戸に在る事によるのだろう。 

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■「長生きはしないな」という実感

2022-08-31 07:30:45 | 徒然

 二回目のワクチン接種後あたりからの肩の痛みと、先々週の熊本史談会後の背中の痛み(リックの重い荷物)、先週金曜日の自転車での図書館往復後のふくらはぎの張り・・・傘寿爺様の身体は悲鳴を上げている。
こんな按配だから、深い睡眠がとれず連日睡眠不足状態が続いている処に、今朝は夜明け前、右足に強烈なこむら返りが起った。
何とまあ痛い事・・・4.5時間ほど経過したが足を引きずって歩いている。今日は朝散歩は取りやめ。
金曜日に図書館に出かけて休館日だったから、今日出かけようと予定していたが、それどころの話ではない。

 肩はズキンズキンするわけではなく「肩が上がらない」という症状、無理をすると痛みが来る。
重い本を左手で持っていたら、肩にこむら返り同様の痛みが来たことがあった。シャワーで熱目のお湯を肩にかけると少々改善する。
冷房を左肩に受けているから、これもよろしくないから長袖シャツを着るという有様である。
少々左手に痺れがあり、タイピングの合間に「グー・チョキ・パー」をやっている。

「長生きはしねえなー」と実感する昨今である。

 

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