3階の我が家のベランダから花火鑑賞・・5~600m先の自衛隊・健軍駐屯地での花火大会です。
遮るものがない、特等席で20時から約15分と短いものの、久しぶりに花火を堪能しました。
今日は駐屯地内で盆踊り大会などの予定があったようですが、コロナの急拡大を受けて急遽取りやめ、花火大会のみとなりました。
毎日自衛隊周辺を散歩させていただいていますが、いろいろ感謝申し上げます。
健軍自衛隊の通信塔の上に上った花火です。携帯のシャッターのチャンスが合わずに没ばかりの撮影と相成りました。
3階の我が家のベランダから花火鑑賞・・5~600m先の自衛隊・健軍駐屯地での花火大会です。
遮るものがない、特等席で20時から約15分と短いものの、久しぶりに花火を堪能しました。
今日は駐屯地内で盆踊り大会などの予定があったようですが、コロナの急拡大を受けて急遽取りやめ、花火大会のみとなりました。
毎日自衛隊周辺を散歩させていただいていますが、いろいろ感謝申し上げます。
健軍自衛隊の通信塔の上に上った花火です。携帯のシャッターのチャンスが合わずに没ばかりの撮影と相成りました。
毎年今頃になると、熊本の古書肆「舒文堂河島書店」から「古書目録」をお贈りいただく。
もう何年になるのか、随分長い期間となりただただ感謝申し上げる。
私のお目当ては、「熊本関係総説」に登場する古書籍群である。まだ私が所蔵していない珍しい古書はないかと目を凝らして一つづつ確認をするのである。
創業明治10年、145年間の移り行く熊本の歴史と共に生きてきた古書肆、更なるご発展をお祈り申し上げる。
御大工棟梁善蔵は「石塘」建設にもかかわっている。当時の白川と坪井川は合流していて、これを分流するために巾3間・長さ210間の石積みの塘が築かれた。
その先端部は「細工町五丁目」であり「だい村」に及んだとするが、「だい村」は蓮台寺をさすとされるから、これは大いに大げさではある。
地図を眺めると、かっての國府・二本木から古町-新町-城内へとまっすぐつながっていることに気付く。
坪井川の流れが新たに開削され、高麗門や新三丁目御門+橋橋(後の明八橋)などで府中の西南の守りがかためられたのは、慶長12年ころであろうか。
藤崎宮の演能について、本座(喜多流)と新座(金春流)の争いがあり、本座に対して償いとして坪井川の開削が命じられたことによる。
その時期は、ちょうど熊本城の天守が完成し「隈本」が「熊本」に名を替えたころである。
それまでは古町地区・新町地区は混然一体をなしていた。
清正は天正19年5月に細工町四丁目に京・大阪から商人をよび町造りを始める。隈本では大変珍しい「両側町」で構成されている。
これは西欧でよくみられる都市計画法だが、道を挟んだ両側をブロックとして町名・丁名をつけるという手法である。
京都の元公家で金閣寺の僧であった家臣・下津棒庵の計画によるものではなかろうか。
古町はよく「一町一寺」というが、両側町で構成されると、或る四角なブロックは四面の道が算盤の駒のような形で町を形成すると、勢い四角の中央部に空き地が出来る。西欧ではこれが緑地となるが、熊本ではお寺が置かれた。
後に坪井川が井芹川に繋がれ、高麗門が出来、新三丁目御門が出来ると、古町は総構えの外に取り残されることになる。
古町は商人の街であるとともに寺町であり、戦略的に防御の地となったのである。
新町地区は古城すなわち「隈本城」の城下町であり、武士と商人が入り混じった活気あふれる街である。
街の作りは古町とは様相を異にし、藤崎宮や新町御門に向かい短冊形に構成されている。
鹿子木氏ー城氏ー佐々氏が治めたが、城親賢の時代には「市」が興された。没年は天正九年というからそのころには自然成りの道筋で町が構成されていたのだろう。
佐々氏の治政はあまりにも短く、その業績ははっきりしない。一代の英雄の末路は余りにも悲惨であった。
清正の人生も戦闘に明け暮れ、特に朝鮮に身をおいての戦いは7年ほどに達している。
そんな中で、多くの河川の治水・利水の工事を行い、入国時には小西領と共に54万石と言われた肥後の国は慶長13年の檢地では75万石となっている。
これも熊本城の天守が出来たとする時期である。
塩屋町の勢屯(古城前一体)で「お国」を招き歌舞伎興行が行われたのは、慶長15年、熊本城天守完成の祝いでもあったろう。
30歳ほどになっていたと思われる、正室清浄院に対する華やかなプレゼントであったかもしれない。
そして16年清正は波乱万丈の死をとげる。本丸御殿で亡くなったとする。
熊本城の築城と共に、石塘の普請から古町ー新町の街づくり、熊本城防衛のための古町ー新町を分断する坪井川の井芹川への合流等、清正存世の時代に様相はめまぐるしく変化している。
年表を見ながら想像するこれらの時代は、今日の熊本城下の基盤を為す生みの苦しみであり、しかし元気な産声を聞いたのである。