大江戸地図帳 時代小説副読本 | |
人文社 |
【本の内容】
●古地図を開きながら、時代小説を読む・・・着々とひろがりをみせている愉しみ方をより気軽に親しんでもらえるよう、文庫サイズに編集。
●古地図は「天保改正 御江戸大絵図」をデジタルデータ化し、読める古地図としてフルカラーで再現。
●3000項目以上に及ぶ巻末索引、当時の単位や風俗を解説した基礎知識など付録も充実。
●登場人物の足取りを追い、江戸の町並みや暮らしに思いをはせる・・・深く時代小説を愉しみたい方におすすめの副読本。
大江戸地図帳 時代小説副読本 | |
人文社 |
【本の内容】
●古地図を開きながら、時代小説を読む・・・着々とひろがりをみせている愉しみ方をより気軽に親しんでもらえるよう、文庫サイズに編集。
●古地図は「天保改正 御江戸大絵図」をデジタルデータ化し、読める古地図としてフルカラーで再現。
●3000項目以上に及ぶ巻末索引、当時の単位や風俗を解説した基礎知識など付録も充実。
●登場人物の足取りを追い、江戸の町並みや暮らしに思いをはせる・・・深く時代小説を愉しみたい方におすすめの副読本。
遠来の友の帰京の飛行機の時間まで、まるで駆け足で宮崎の高千穂の天の岩戸神社や、阿蘇山の噴火口やらを駆け巡り、飛行場に付いたのは予定を30分ばかりオーバーしてかえってご迷惑をお掛けしてしまった。随分お疲れになったろうと、反省しきりである。 インターネットを通じての知友であるが、先に書いたように電話で話したこともないし、年齢も随分違うのだが、今度お目にかかって真の友人を得た気持ちがしている。また周囲の素晴らしい人たちとも知遇を深め、うれしい限りである。
私の歴史狂いはこのサイトをUPしてからその度合いを含め、歴史の勉強会に参加、ここでの仲間もまた得がたい友である。お寺を訪問しての勉強会や、お掃除などのボランティア活動も気持よいいろんな方と出会いがあり、有難いことと感謝である。
自分ではいささか人見知りが過ぎ偏屈人間と思ってきたが、どうやら世間の皆様は暖かく付き合っていただき望外の幸せを感じている。こりゃ~長生きせずばと思ったりしている。
数日前から天気予報を気にしていたのだが、快晴のお天気と成り冷え込みも無く絶好のお掃除日和となった。8時前現場に入ると、もう沢山の自衛官の方々が来ておられる。交わす挨拶も元気がよくこちらも気持ちがしゃきっとなり背筋が伸びる感じだ。地元有志も多数参加する中、作業の説明や妙解寺の歴史についての話があり、9:00~11:00の予定で作業開始である。総勢200数十名が担当各所に分散して、草むしりや石碑にからんだつるや苔の掃除、枯れ枝や竹の処分など皆さんが頑張って予定通りに完了、広大な墓所周辺が見違えるように綺麗になった。爺もそれなりに頑張ったおかげで、あちこちこわって明日が心配である。
このような作業が年に二三回でも定例化されないかと、地元参加者の皆さんとお話をしたことである。皆さんの意識が前向きになったことが、一番の収穫かもしれない。
明日は綺麗になったこの妙解寺に、来熊中の二人のお客様をお連れすることになっている。
歴史研究家のS氏、エッセイストのK氏が11/19~21日の予定で来熊された。
今まで一度もお目にかかったことも無かったし、電話でお話したことも無かった。
しかし不思議なご縁で数年来の旧知の友達といった感じなのだが、お付き合いはまさに現代的でインターネットを通じてのことである。S氏は38歳、K氏は50代に入られたばかり、白髪頭の私としてはちょっと申し訳ない感じがしている。一日あちこちをご案内、夕刻からお二人は旧知だが初対面というSa氏ご夫妻と酒席で楽しい時間を過ごした。
タイトルの「好信楽瑠璃庵」とはSa氏が経営されているお店だが、素晴らしい雰囲気と、おいしいお酒、食事を堪能し、おしゃべりは5時間余となった。帰り着いたのは午前様である。
昨日付けのブログに穴を開けてしまったが、そんなことはどうでも良い素晴らしい一日を過ごした。感謝・・・・
熊本にお出での節は是非ともお立ち寄りいただきたい、津々堂推薦のお店である。
ameblo.jp/lurian
www.hotpepper.jp/strJ000762005
ほんがくじ
今日は史談会の有志10名で六角堂本覚寺を訪問した。
www.cam.hi-ho.ne.jp/s-uekawa
かって私はブログ2009-06-25 16:19:08 で「長曽我部元親記(長元記)」を著した細川藩士・立石正賀のことにふれたことがある。 今年の6月ご住職からメールをいただき正賀のお墓が、本覚寺にあることをお教えいただいた。遅ればせながら宮村典太編の「雑撰録」から、「長曽我部元親記」を読んでいるが遅きに失したきらいがある。日本の古本屋を見ると以下の様なものが見つかった。果たして「雑撰録」にあるものと同じなのかが大変興味あるところだが・・
長曽我部元親記 全
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荒尾良水之写本 虫入り、 1、 文政二年
右長元記、一向宗円満寺ノ所蔵本ノヲ写之・・ト奥書有り
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ここ本覚寺は加藤清正の側室・本覚院(川尻殿)の菩提寺として知られる。あたかもその法名をもって川尻殿の為建立されたように言い伝えられているが、この説については疑問が残るところである。かって本覚院のお墓の移転が試みられたとき、多数の遺物が発見された。正室水野氏から送られたものであろうと考えられる、おもだかの紋がついた埋葬のためと思われる手鏡や、六文銭の替わりに入れられた丁銀(1000万円以上?)などを拝見、手にとって思わずため息をついてしまった。
加藤家没落後荒廃していたが、立石正貞が父・立石正賀の石廟をここに移し寺を再興したとされる。大乘院(正賀の法号)石祠なるものがあり、中に墓碑があり石廟の左側面にはその由来が刻み込まれている。慶安二年に八十二歳でなくなり、寛文年の末にここに移されたという。160ページほどの「長曽我部元親記」をさてどうしようかと、思案中である。
ウィキペディアより 「ミジンコ」
以前東京のTYさまから「おもだか」の球根を頂戴した。(2009-12-27 のブログ・ご披露でご紹介) 睡蓮用の鉢と荒木田土を購入して植え付け、それぞれの球根からきれいな葉は出たものの、花をつけるまでには至らなかった。余りにも夏の時期が暑かったせいで、水温が上がったからではないかと思っているが、来年は管理に十分気をつけて可愛い花を観賞したいと思っている。
折鶴らんの徒長した株(?)をとって、「おもだか」の鉢の中に入れておいたのだが、これを水栽培しようと思い立ち、ガラスの細長い筒状のグラスに入れた。すでにグラスの中で白い根が伸びている。よくよく観察しているとグラスの中を小さなものが泳ぎまわっている。不思議に思いながら改めて睡蓮鉢のほうを見てみると、こちらには無数泳ぎまわっている。
ミジンコだ。・・・・・・・・・・
なぜ? と考えると荒木田土しかない。購入した荒木田土に潜んでいたのだろう。
ジャズミュージシャンの坂田明氏の「ミジンコの話」は大変面白くて、時折氏が出演されるTV番組など見つけると期待をして聞いたものだ。
www.akira-sakata.com/daphnia
http://home.hiroshima-u.ac.jp/forum/30-1/sakata.html
http://www.galabox.net/catalog/product_info.php?manufacturers_id=35&products_id=64
こうして「ミジンコ」を目の前にすると、なかなか興味深く思えてきた。
鉢の中に「蚊」などが卵を産み付けないように、メダカでも放そうかと思っていたが、これは取りやめにしなければならない。そして「ミジンコ」の育て方を勉強しようと、いろいろサイトを探し回っている。元手がかからなくて中々よいではないか・・・・
http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/yosikoneko39?alocale=0jp&mode=2&apg=1
ここに細川藩関係の史料が沢山出されている。南関の惣庄屋江上安太に関する文書が大変気になる。こんなにばらばらにされると、散逸してしまう可能性大で、何とかならないものかと考え込んでしまった。良い手は無いでしょうか・・詳しい方ご教示下さい。
昨日は随分冷え込み、阿蘇地方では氷点下となったようだ。今日は一転暖かな晴天となったが、先行きどうも下り坂のお天気の気配が気になっている。
■明日は史談会で「六角堂本覚寺」をお尋ねすることになっている。
六角堂観音本覚寺 www.cam.hi-ho.ne.jp/s-uekawa
■19~21日にかけては、不思議なご縁でご厚誼をいただいている赤穂義士研究の歴史家S氏と、堀部弥兵衛の介錯役を務めた米良氏のご子孫でエッセイストのK氏が来熊される。あちこちご案内したいと思っているが・・・天気が心配・・・
赤穂義士資料館 http://www.age.ne.jp/x/satomako/TOP.htm
コーヒーブレイクエッセイ
http://www.kitanihon-oil.co.jp/pc/essay/tsuguo01.htm
■又、20日は妙解寺の大清掃が控えている。今まで口を濁してきたが、これは自衛隊の北熊本駐屯地(第八師団)のお力をお借りすることになっている。総勢230名という大変な数である。ご尽力いただいた第八師団副師団長で駐屯地司令のA准将は、細川家家老のA家のご子孫である。
その他地元有志その他20~30人も集まって、一気呵成に済ませてしまおうというのである。なんとか雨だけは降らないで欲しい・・・切なる思いで祈るしかない。
北岡自然公園 http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/kitaoka.html
最近電化製品が一度に駄目になって、年金生活者にとっては頭の痛いことである。冷蔵庫・電子レンジ・トースター・コーヒーメーカー、それから仕事に使っていた業務用コピー機(総合機)と相次いで壊れた。
TVも相当のお古で図体も大きく場所をとるので、エコポイントの締め切りも近いことから、この際買い換えようと妻が言う。
息子が自分の部屋のTVを買い替え、ほかの電化製品の買い替えでたまったポイントがあるから、「お金は余りださなくてすむのよ」とのたまう。ならばと家電店に出かける。妻はとっくに下見して品物を決めており、これでどうかという。「いいんじゃない」とOKして、一週間もすればきれいな画面で楽しめるかと思ったら・・・・納品にはなんと一ト月ほどかかるという。
我が家同様、皆さん駆け込みのTV需要が凄いらしい。
「これで死ぬまで買い替えは無いだろう」と思うのだが、・・・如何?
エコポイントで次は何を買おうかと、もう妻は思案顔である。
■予習
1、11月17日 史談会行事「六角堂本覚院訪問」につき、関係資料を読む
2、11月19日~21日 神風連・米良氏のご子孫来熊につき、資料の再読
神風連血涙史 石原醜男著 昭和10年4月刊行
神風連実記 荒木精之著 昭和46年初版
近代への叛逆 荒木精之著 平成4年
神風連とその時代 渡辺京二著 2006年6月初版
3、11月20日の妙解寺清掃に当たって、細川家子女の墓所の位置の再確認、ならびに
寺内にあった建物について
資料1 花岡山・万日山遺跡群第一次調査区発掘調査報告書
「智照院細川家墓所」
資料2 平成18年10月6日 熊本日日新聞記事
「細川分家の墓確認 熊本市横手智照院墓所」
資料3 昭和52年2月日本建築学会九州支部研究報告 第23号
「近世初期釈家住宅における数奇屋風書院について
-肥後藩妙解寺塔頭について」 北野隆(当時熊本大学講師)
資料4 熊本市史 68-10熊本所分絵図 高麗門-塩屋町之絵図
■復習
1、11月史談会例会での有吉家文書の古文再読
2、徳永和喜著「贋金づくりと明治維新」を再熟読
■その他
1、長曽我部元親記(全85葉)の読み下し開始
2、横手町妙立寺文書(全47葉)の解読・・・・・現況1/4進捗
3、有禄士族基本帳 Y氏の改正禄高等調の解読・タイピング
平田郷陽 《髪》
熊本県立美術館所蔵
(今西コレクションより)
現在熊本県立美術館では「清和文楽人形と今西コレクションの衣装人形」展が行われている。
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event/kikaku/101001-101224seiwaningyo/index.html
「今西コレクション」とは熊本県立美術館によると、「サラリーマンであった今西菊松氏が、戦後、その生活の全てをかけて集めた美術品です。肉筆浮世絵、茶道具、人間国宝作家らの現代工芸に大別される440余点の館蔵品と若干の寄託品で構成されます。名品・珍品が多く、学問的価植も高いコレクションとなっています。」とある。
「おなご(女御)は飯ば食いますもん」は、その今西氏の名言である。生涯独身であった氏は、その収入の全てを美術品の購入に当てた。結婚について訊ねられたときの返答がこれだといわれるが、結婚に伴う費用や生活に当てる費用までも惜しんで独身を貫いてのコレクションである。「鑑定団」に持ち込まれるような贋作ではなく、本物ばかりである。
今般出品されている人形作家・平田郷陽の作品なども、見事に素晴らしいものである。
氏はエリートサラリーマンではない。NHKの集金の仕事をされていたと聞く。そんな中でのこのコレクションには驚かされるし、その崇高な思いにただただ尊敬の想いを深くするのである。
コレクションの前に立つと、怠惰な生活を送っている私などは身を小さくさせられる。
昨日のことである。ある調べごとと、コピーをすべく久しぶりに図書館に出向く。
細川藩士・立石正重が書き残した、「長元記」をコピーするつもりでいたら、別に同氏の「長曽我部元親記」なるものもある。よくよく見比べると長曽我部に係る記述であることに間違いないが・・・まさしく別物である。まずは「長曽我部元親記」約80枚をコピーする。68爺は途中ですっかり疲れてしまい「長元記」のコピーは後日にすることとして終了。
丁度「平成22年度図書館貴重資料展 『織豊時代の武将』~清正・幽齋~が行われていたので、しばし展観、資料を頂戴してかえる。
帰ってよくよく見ると「加藤清正関係系図」が掲載されている。安藤秀男氏の著作からの引用である。・・・・これはまずい・・・・ 地元・福田正秀氏の研究によって、今まで伝えられてきた清正の家族関係は相当の間違いがあることが証明されてきた。それにもかかわらず、古い資料からの引用は当を得たものではない。図書館が提供する資料だけに、きめ細かな配慮が必要であろう。ちょっとがっかりの図書館浴と相成った。
池上本門寺奉賛会が発行した、坂詰秀一編 2002 『近世大名家墓所の調査 - 圓光院殿日仙榮壽大姉墓所、清高院殿妙秀日圓大姉墓所、高正院殿妙泉日流大姉墓所』を、熊本県立図書館で見ることが出来た。こういった類のお役所の報告書に比べると、大変立派な装丁で驚いてしまった。
細川藩関係は、綱利の生母清高院と、宣紀の生母高正院の墓所が詳細に亘り発掘調査されている。見開きに近いところに掲載された、清高院の膝をわずかに屈曲させて横たわるカラーの遺骨の写真が強烈だった。綱利の生母として栄華を極めたのであろうが、こういう現実を目の辺りにするとなんとも言いがたい気持ちにさせられる。
光尚
∥----------------+--綱利=================宣紀
吉(清高院) |
+--利重
∥-------------+--利昌
弁(高正院) |
+--利武(宣紀)
驚かされるのはそのお墓の見事さである。二人は共に藩主の生母とはいえ側室である。
最近泰勝寺や妙解寺を度々訪れ、藩主のお墓に接してきたが、清高院のお墓は藩主以上の作りかもしれない。当然の事ながら綱利が作らせたものであろうが、母子を通じての派手好みが伺える。顔をしかめた家臣も多かったのではないかと、ひそかに推察している。 所詮は側室であったという清高院の思いや、派手な生活を諌められた無念さや、又そんな母を思う綱利の想いが凝縮されているように感じられた。
この手の本はなかなか目を通される機会も少ないだろうが、どうぞ御覧になられては如何だろうか。
丸に立鼓紋
我が家の紋は紋帳にはない。隅入り角に立鼓紋である。
細川家家臣の家紋を眺めていたら、類似の家紋が二三あることに気づいた。
・富田弥右衛門元英家(後・古橋家) 黒丸・白抜き立鼓
・小川元淳家 丸に立鼓
・横山藤左衛門を祖とする三家 同上
・続重政の分流二家 同上
・内藤庄大夫家 同上
・兼坂藤右衛門定輝家 角に立鼓
我が家の紋は兼坂家のものに近い。我がご先祖は兼坂組にお世話になったことがある。
家紋は関係ないと思うのだけれど・・・
覧海軒図 (山口県立博物館所蔵・・説明文とも引用) |
【山口県の瀬戸内海側には、江戸時代から昭和中期まで塩田が多数ありました。この図には、 |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
我が家は二代目のときに母方の姓に改め現在に至っている。初代は磯部氏である。毛利家に仕えたが浪人した。安芸毛利氏が長州に封じ込められた時期であろう。
先祖附は下松に浪居したとしている。「覧海軒図」をみると、下松における磯部氏の隆盛ぶりが伺えるし、現在も多くの磯部氏の名前を知ることが出来る。
つい最近のことらしいが、ウィキペディアに「磯部氏」がアップされていることに気づいた。
ja.wikipedia.org/wiki/磯部氏
符合する部分も見受けられて、我が先祖研究に光明が見えてきた感じがする。
実は先ごろ荒木村重のご子孫から、「風林火山-第二十三号」なる武田家旧恩会が発行する冊子をご恵贈いただいた。このなかに荒木氏がお書きになった「荒木家の先祖となる甲斐武田家臣の白須家、渡辺家、磯部家、曽根下野守昌世について」で、磯部氏の紹介があり、これも私の先祖探求に火をつけた。
景石城【ja.wikipedia.org/wiki/景石城】の磯部氏や 磯部常安が建立したという下松にある浄西寺【www.jodo.jp/39-069】など、ヒントになりそうな情報も多くあり、先行きに希望が見えてきた。
磯部氏について情報をお持ちの方は、是非ともご連絡いただきたい。