「 六十にして耳従う、七十にして 心の欲するところに従いて 矩を越えず」なんぞと、昔の御偉い方は仰ったが、現世のモッコス老人はそうは行かない。
最近頭に来ることが多い。今日も今日とてあるところに出向いて「けんか」を売って来た。
私は口下手で理路整然と相手をノックアウトするようには行かないタイプの人間である。しかし今日は頭に来て怒鳴り込んだ。
相手はかつてしったる人だが、私の剣幕に呆然としていた。2・30分まくし立てているうちに、「冷静にならなくては・・」というブレーキがかかり、なんとかまとめをつける。話し終わった後は穏やかに二三分世間話をして分かれたのだが、どうやら彼が知る私と、今日の剣幕に落差がありすぎ驚いたらしい。
「あんたに文句を言ってるんじゃない。あんたの上司のエリートづらのぼんくら加減に腹を立てているんだ。私が言ったとくれぐれも伝えて欲しい」と言うと、「なかなかそこまで言う人は居ませんよ」とのたまう。「私が言ってることは間違いですか」というと「いやいや、ご尤もなお話です」との答え、「喧嘩はかってやると言っておいてくれ」と付け足して、退散・・・・・
さて、週明けどういう事件(?)が勃発するやら・・・・・歳を重ねるたびに喧嘩っぱやくなってきた自分が恐ろしい。
先に細川家の家紋についてのお問い合わせがあり、一つ引両紋が細川家の家紋として武鑑に載せられていることをお教えいただいた。
時折ヤフーオークションに出品されているが、落札に至らない。日本の古本屋を覗いてみたら結構そろっているのに驚いた。しかし値段を見てまたまた驚き・・・特に武鑑を手許に持っておく必要性もなくちょっと考え込んでしまった。
オークションにチャレンジするしかないが、一つ引両紋を細川家の家紋としている武鑑にはお目にかかることが出来ないかもしれない。
古いメモから取り出した雑句です。いささか推敲したつもりですが代わり映えしませんね。
・椎茸あぶって男留守居の手酌かな
・すきま風障子鳴らせど小春かな
・初霜や花の手入れのしたり顔
・烏瓜の紅美しき日和かな
・羅ものの嫗のしゃきと明治かな
メールにご返事したり、お問い合わせの返事の手紙をしたためたり、読み下しの作業をしたり・・・もろもろ多忙を極め、旦夕覺書などのタイピングが一向に進みません。大きな口をたたいた手前、何とか全てを終わらせたいと思っていますが、「安請け合いは怪我の元」ですねー。
口が軽くて何でもひょいひょいやる癖があって、70歳にもなろうという身ですからいささか慎まなければ、我が身をつぶすことにも成りかねない有様です。それでも新しい史料などに出会うと、すっかり良い気分に成って入り込んでしまいます。
B型ひつじ座はこんなものなのでしょうか。
窓の外で鳥がきーっ/\と啼いていますが、名前が判りません。随分温かい日和がここ数日続き半袖で過ごしていますが、あの鳥は冬の前触れに啼く鳥だと思うのですが・・・・・
体がしゃっきりする様に、暑さもそろそろ終わりにして欲しいものです。
石垣原の戦いで活躍した魚住右衛門兵衛に関し、「旦夕覺書」 花--14 に置いて堀内傳右衛門は次のように記しているが、ほぼ「綿考輯録」に添ってである。
三齋様御代豊後國石垣原の合戦之時御家より松井殿有吉殿大将にて黒田如水も人數被遣刻御家にて魚住右衛門兵衛働如水老之紙面之寫なり
一昨日御働手柄段松佐州有四郎右御物語に
候於我等満足不過之候今日爰元相澄候て明日
其地へ参面上以萬々可申入候恐々謹言
九月十五日 如水軒判
魚住右衛門兵衛殿
其後三齋公江如水老右衛門兵衛御所望にて小身にて被召仕候由拙者江被下候はヾ貮千石被下との事に候 時あの様成者は幾人にても願申候とて則貮千石御加増被下候由魚住又助祖父之由 先年御家中先祖附差出候時右之通いかにしてもかヽれぬとて又助致遠慮候とて澤伊左衛門縁者にて拙者江咄申候 理知儀過たる男とて笑申候 右之紙面寫置候 三齋公御代は外之御家にも跡式皆々へり不残は不被下候由忠利公肥後拝領被成以後御家中侍中之跡目十五以上無相違可被為拝領と被仰出候由八代にて三齋公御聞被成越中か大名に成たるとて右之通被仰出候 後々には奉公人之人柄あしく可成と御意被成候由遠坂関内殿咄申候
数日前黒田如水の書状をお持ちだという、魚住様からご連絡をいただいた。コピーを頂戴することにしているが、ほぼ間違いないだろうと考えている。
その他種々の文書をご提供いただくこととなったが、この様な貴重な文書にお目にかかれることについて、このサイトを続けてきたお蔭だと自分を褒めたい気分である。快くご同意いただいた事に感謝申上げる。