津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

しんほち・・Ⅱ

2012-05-24 23:19:52 | 徒然

いろいろぐぐっていたら、「出来たてのほやほやのひよこの菩薩は、新発智(しんぼっち)と言います。」とある。
忠興は六丸(光尚)の幼い姿に、まさに生まれたての菩薩様を感じたのであろう。
だとすると、なかなか洒落のきいたお人柄といえる。
かってはこの言葉も当たり前に遣われていたのかもしれない。子規の俳句に次のような句があるそうだ。     

                  新発智の青き頭を初時雨 

ああ良い句だなーと参ってしまった。

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しんほち

2012-05-24 08:39:23 | 徒然

 皆様は「しんほち」という言葉を御存知だろうか。

細川忠興の孫・光尚(幼名六丸)が生まれたのは、元和五年九月十九日のことである。
忠興が息・忠利に対して孫の事に触れて書状を出すのは、大日本史料・細川家史料によると、元和六年三月十九日(205)のものが一番古いようだ。

             中津しんほち此比少蟲気之由候間針立遣候 相當之由申越候 但煩程之事にてハ無之候
             養性のためニ候 

ここにしんほちという言葉が登場し頭注において「忠利長子六丸、光尚」とある。さてこのしんほちとは一体何なのだろうか。
同年八月十日書状(216)にも同様のものがある。

             志んほち切々煩申候 已庵薬相當申候 莬角其方歸城之時分もミ付候て無養性は 大事と
             存候事 

元和八年正月廿一日書状(2-329)は、忠利と六丸が将軍秀忠夫妻に謁見したことに対する忠興の書状である。

             其方 新發智無■儀著 公方様・御臺様御禮被申上 珎重候事    (■ 已の下に大)

ここでは しんほち に 新發智 という漢字が当てられている。この漢字とて辞書では確認できない。あだ名・愛称みたいなものなのだろうか・・・・
その後光尚の事に触れる書状自体が見受けられなくなる。

この しんほち( 新發智) が皆目わからずぐぐって見たら、ブログ http://zagzag.blog72.fc2.com/blog-entry-873.html に、「しんぼち」(「しんぼっち」などとも)は出家して間もない人の意味で「新発意」とも書く】とある。どうやらこれに間違いなさそうだが、六丸殿は得度したということだろうか
どなたか御存知であればご教示を切に願うものである。

コメント (3)
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