中瀬左太郎については 細川家家臣・中瀬氏 で一度御紹介した。
今まで気づかなかった史料を発見、ここに御紹介しておく。
寛永四年二月五日 日帳より抜粋
中瀬左太郎殿御客人家ニ置可申旨被為仰置ニ付 則住江甚兵衛(元明)ニ申渡御移候
則自身賄ノ儀 金子・中津両人へ申渡候 諸道具以下も右ニ渡り申分不足ニ候ハゝ 甚兵
手前より調可被相渡由候 万事てつかへ不申様ニと右三人江申渡候事
(福岡県史 近世史料編 細川小倉藩(一)p281)
中瀬左太郎については 細川家家臣・中瀬氏 で一度御紹介した。
今まで気づかなかった史料を発見、ここに御紹介しておく。
寛永四年二月五日 日帳より抜粋
中瀬左太郎殿御客人家ニ置可申旨被為仰置ニ付 則住江甚兵衛(元明)ニ申渡御移候
則自身賄ノ儀 金子・中津両人へ申渡候 諸道具以下も右ニ渡り申分不足ニ候ハゝ 甚兵
手前より調可被相渡由候 万事てつかへ不申様ニと右三人江申渡候事
(福岡県史 近世史料編 細川小倉藩(一)p281)
安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書 | |
日本経済新聞出版社 |
ほとんど建築設計の現場から離れてしまった昨今、建築関係の本を読むこともなくなってしまった。(歴史関係がほとんど・・・)
安藤忠雄については多岐に亘る彼の行動について大変興味があって、日経新聞の「私の履歴書」ということもあってちょっと興味を惹かれてしまった。
1,000石用人などを勤めた落合氏の召出しに係る記述があった。(熊本縣史・近世編第二 p164)
細川家と森家は大変友好的な付き合いがあり、其の故をもっての召しだしであろう。
(寛永十二)
一、落合勘兵衛と申者森内記殿牢人ニ而候 頓而可下候間當 森長継(美作津山藩主)
座町屋を申付松岡主税家を掃除申付賄道具不残申付候
味噌・塩・薪之類迄卅日分ありつきニ渡し扨其拵渡ハ賄道
具・薪・塩噌(ママ)已下迄注文を仕此方へ可越候事
一、勘兵衛賄ニ壹ケ月八木五石・薪五拾束宛可相渡候事
一、畳もむさく候ハゝ新敷申付可遣候事
一、十二月十日之内ニ八木百石相渡候事
越
七月五日 忠利御判