津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

◼️pcトラブルのはてに!

2015-12-04 09:39:02 | 徒然

pcがトラブル続きでしばらくipadから書きこみすることにしました。おまけに入居しているmのtvや電話、インターネットなどが共同受信になるため、ブロバイダーもこの際変更することにしました。ipadでの書き込みは少々難儀しますので、今まで通りの書き込みは出来なくなりますが、頑張って続けてまいります。今日はpc購入のための手続きや、共同受信の契約など、忙しい一日になりそうです。

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■私闘、北の関事件

2015-12-03 16:12:25 | 歴史

細川家譜の「細川綱利譜」の中に、家臣前川勘右衛門が叔父・山名十右衛門の助けを借りて、藤田助之進一家を討果たすという、いわゆる「北の関事件」が大々的に取り上げられている。家臣同士の私闘というべきこの事件を、「細川家譜」にわざわざ記録すべき事柄で有るのか、いささか首をかしげざるを得ない。記録は次のごとくで有る。

延寶元年癸丑七月廿三日前川勘右衛門重之筑後國北関ニテ藤田助之進父子ヲ討果ス 是ヨリ先キ両人江戸在勤ノ節助之進娘ヲ勘右衛門妻ニ遣シ度由ニテ粗其約ヲ固メシカ歸國ノ後前川一類ノ故障ニテ破談セシカハ助之進コレヲ恚ミ悪口セシヲ勘右衛門聞テ討果スヘシト云遣ス 助之進ヨリ噯ヲ入レ一旦和觧ニ及フト雖共勘右衛門噯ニ託シ臆シタリトノ唱ヲ受終ニ暇ヲ請フ 七月十九日願ノ通暇ヲ遣ス 依テ従兄弟山名十左衛門重澄カ知行所山鹿郡高橋村ニ退去ス 藤田モ同日暇ヲ取ラセタレハ同人本國播州へ歸ラントテ縫殿助ヲ初メ妻子家従ヲ纒メ七月廿三日南関口ヨリ出ル時前川カ許ニ人ヲ遣シテ若意趣ノ言フヘキアラハ北ノ関ニ相マチテ面決セント言贈ル 十左衛門ハ藤田カ立退ク由ヲ聞付テ前川カ許ニ馳付ケ此事ヲ聞キ前川ト共ニ藤田ヲ追テ北関ニ至リ先ツ使ヲ以テ藤田ヲ留ム
藤田丘ノ上ニ在テ主従十人計鉄炮ヲ構へ待懸ル 前川カ家士西郷祐道其子平十郎壻諸左衛門山名カ家来加々美横平主ノ矢面ニ立ツヘシトテ砂烟ヲ蹴立抜連テ蒐ル 藤田主従一同ニ炮發セシカハ祐道諸左衛門砲玉ニ中テ伏ス 平十郎肩先ヲ討セ少モヒルマス進ミ戦フ 十左衛門此隙ニ岸陰ヨリ跳上リ鑓ヲ擧テ助之進ヲ突伏セ其方先頃士蓄生ト悪口セシハ武士ニ似合サル雑言ナリ真ノ武士ノ擧動斯ノ如シ 山名十左衛門見知リタルカト喚リテ止メヲ刺ス 縫殿進馳セ来リ左ノ方ヨリ拂切ニ切付シヲ弓杖一丈計リ飛徐ケル時家来共押隔散々ニ戦フ十左衛門又討テ蒐リ縫殿進ヲモ突留ル 藤田カ家来皆働キテ死ス 此日申刻ヨリ事始リ酉下刻ニ場ヲ揚ク 山名カ手ニ討死一人手負八人前川カ手ニ討死三人手負二人アリ其後勘右衛門所々漂泊セシカ翌三月豊後臼杵城主稲葉右京亮ヲ頼ミシニ右京亮懇ニ待遇アリシカ八月晦日勘右衛門密ニ家来ヲ本意ヲ告ケ自殺セリ 十左衛門ハ追々知行五千石ニ至リ家老職トナル 元禄十一年三月綱利旅行ノ節北ノ関ヨリ十左衛門ニ書ヲ與フ 其略ニ曰先年藤田父子殺戮働ノ場所今見ルカ如シ心ナキ邑老村女マテ感心セリ天下静謐ノ時家老職ニ其方ヲ持スル事世上希有リト云々
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■家紋のはなし 桐紋と二つ引輌紋

2015-12-02 07:35:26 | 家紋

                   五三の桐紋   丸に二つ引輌紋
 

 「細川家紋之事」では、櫻紋・九曜紋・桐紋・引き輌紋・松蓋菱紋の由緒について述べられている。
その内の上の二つの家紋は共に足利将軍家からの拝領紋である。細川家記「綿考輯録」には、次のように記されている。

                 昨日兇徒等入洛之処 以手人数被追払 剰首三到来
                 感悦不浅候 為褒美紋桐引輌筋免之候 恐々謹言

                    正月五日          御名(義昭公)
                        細川兵部大輔殿 

これは永禄三年京都相国寺に在った将軍義昭を三好・松永等が襲おうとした際の細川藤孝の働きに対しての感状である。
ただこの二つの紋は既に細川家の使うところであった。共に足利家の紋である。

この二つの紋の使用が認められていた細川家家臣がいる。西山家である。
その祖は最後の将軍足利義輝の子・足利道鑑であるから当然と言えば当然といえる。
息・西山左京(尾池傳左衛門)、その子勘十郎はそれぞれ千石・五百石を拝領していたが、「御家御断申、京ニ被相越候由」(綿考輯録・巻五十二)
勘十郎の弟・八郎兵衛氏房が細川家に残り明治にいたった。
家紋と共に一目置かれたことは言うまでもなかったろう。 

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■LADY GRACIA

2015-12-01 09:42:36 | 書籍・読書

                         Lady Gracia: A Samurai Wife’s Love, Strife and Faith (細川ガラシャ夫人)/三浦綾子 (日本文学の英語版・英文著作/IBCパブリッシング)表紙

ガラシャ夫人を主題とした書籍を随分買い集めた。衆目知られる処は三浦綾子の著作であろう。
これはその三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」の英訳本である。訳者スーザン・ツムラなる人物に付いてはまったく知識がない。
どのように翻訳されているのかそれが興味深い。購入してみようかと思案中なのだが、まだ完読していないガラシャ夫人関係書籍が沢山有る。

                   ・細川ガラシャ夫人     ヘルマン・ホイヴェルス
                   ・細川ガラシャ夫人     森田草平
                   ・細川ガラシャ (上)(下)  小山寛二 
                   ・細川ガラシャ--散りぬべき時知りてこそ  田端泰子
                   ・細川ガラシャ       生方たつゑ
                   ・細川ガラシャ       安 廷苑
                   ・伽羅奢細川玉子夫人    宮島真一
                   ・朱なる十字架       永井路子
                   ・胡桃と酒         司馬遼太郎「故郷忘れがたく候」所収

あと一冊満江巌氏の著「細川ガラシャ夫人」も未購入である。この他にもまだ沢山あると思えるがもうそろそろ打ち止めとしたい。
読まずとも並べて置くと安心するという訳ではない。「時間がない」と言い訳をしておく。

                    

                

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■杏葉こだわり 美濃口紀子氏の研究ノート

2015-12-01 07:25:36 | 論考

 「杏葉」についていろいろ調べている内に、「熊本県あさぎり町才園古墳出土馬具の組み合わせと装着想定図について」という論考に行きついた。
「研究者ノート」としてWEBで公開されている。研究者は熊本博物館の美濃口紀子氏である。
                  http://webkoukai-server.kumamoto-kmm.ed.jp/web/mugiamnews/No25-11kenkyu.pdf 

p56の(2)に杏葉が五つ紹介されているが、あまり欠損も見られない。正式な発掘調査によらず発見されたものの様で有るが、このような記録が残されていることは有難い事で有る。
しかしながら、引用された図書【宮代栄一1999「熊本県才園古墳出土遺物の研究―鍍金鏡と8セットの馬具が出土した小円墳―」『人類 史研究』第11号 人類史研究会】が熊本県立図書館・熊本市立図書館に収蔵されていない。こんなとき地方にいる悲しさを感じる。 

 

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