津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■来年の大河Dを前に

2015-12-11 17:19:22 | 書籍・読書
  真田丸の謎―戦国時代を「城」で読み解く (NHK出版新書 474)
                                  千田嘉博
            NHK出版  

 

勇将・真田信繁(幸村)は、「真田丸の戦い」で圧倒的多勢に無勢にもかかわらず、なぜ徳川軍を打ち破ることができたのか。そこには「日本一の兵」と称されるに相応しい大胆な戦略と、脈々と受け継がれた城づくりの知恵が隠されていた。城郭考古学の第一人者が、最新調査と史料の新解釈から真田氏の実像に迫るとともに、「城」を手掛かりに群雄割拠する戦国時代を読み解いた力作。

目次

第一章
真田信繁と大坂の陣
第二章
真田丸の謎に迫る
第三章
真田氏の城づくり
第四章
戦国の城から天下人の城へ
終  章
真田丸を歩く

編集担当者より

 戦国時代は日本の歴史上、城が最もたくさん築かれた時期にあたります。群雄割拠する武将たちが持てる技術を駆使して競うように城を築き、戦った。本書は、そうした武将たちの城づくりを通して、戦国最強の勇将とされる真田信繁(幸村)、そして彼が活躍した時代の実像を読み解こうというものです。
 信繁が真田丸を舞台に戦った大坂の陣は、戦国時代の最後に位置する出来事でした。信繁は3000の寡兵で20万の大軍を打ち負かしました。その詳細は、真田丸の遺構が残っていないため、これまで謎に包まれていました。しかし近年、発掘調査や史料から、真田丸が戦国時代を通じて涵養された、築城技術の粋をこらしたものだったことが明らかになってきました。
 真田丸の詳細からは、なぜ信繁が圧倒的な多勢に無勢で勝てたのか、そこにどのような戦略があったのか、ひいては信繁とはどのような人物であったかが生き生きと浮かび上がってきます。果たして信繁は伝説通りの「日本一の兵」だったのでしょうか。城郭考古学の第一人者による力作、ぜひご一読ください。
(NHK出版 山北健司)
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■松寿庵先生・168講

2015-12-11 09:35:31 | 歴史
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■ご披露、加藤家の「折墨紋」

2015-12-11 08:42:33 | 家紋

 肥後加藤家の家紋の一つとされる「折墨紋」、これはなかなか見る機会に恵まれない。
ならば描いてみようとチャレンジしてみた。清正公400年遠忌記念「加藤清正と本妙寺の至宝展」の図録にある、本妙寺に残る「桐桔梗折墨紋蒔絵飯櫃」にある図を手本とした。130×135㍉ほどに描いたのだが、スキャンして縮小した。ご一笑のほどを・・・・・

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■松寿庵先生・第167講

2015-12-10 22:06:30 | 歴史

                                     隠れ蓑笠

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■松寿庵先生・第166講

2015-12-10 19:37:06 | 歴史

                                                                  清和文楽館

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■御恵贈御礼「熊本市稲荷山古墳出土遺物の研究」

2015-12-10 17:56:48 | 史料

 熊本県内においては熊本市の稲荷山古墳やあさぎり町免田の才園古墳などから、杏葉などを含む見事な馬具類が出土しており、これが熊本博物館に収蔵されている。私は家紋の「杏葉紋」と馬具である「杏葉」にどのようなつながりが有るのか、いささかの興味を持っていた。
そのことをこのブログに書き込んだところだが、図書館でもなかなか資料に出会えずにいたところ、ブログをご覧頂いた熊本博物館の学芸員・美濃口紀子さまから思いがけず、この冊子や「才園古墳」出土の遺物研究の論考が掲載された「人類史研究・第11号」をご恵贈いただいた。
たかだか歴史好きの市井の爺にこのようなご好意をたまわり、大なる感謝を申し上げたい。
実は少々時間が経過しているのだが、スキンが出来ない状態が1週間ほどつづき、ご紹介が遅れてしまった。お詫び申し上げここにご紹介申し上げる。 

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■家紋のはなし 御三卿

2015-12-10 07:45:33 | 花押

 細川家では松井(長岡)・米田(長岡)・有吉の世襲三家老家を三卿と呼んでいる。その御三卿の家紋である。

■筆頭家老松井家

     「竹の節丸に九枚笹紋」と私は勝手に呼んでいるが正式な名称は判らない。

 

 ■二番家老米田家

「釘抜き紋」の画像検索結果    ご存知「釘抜き紋」紋である。
 

     
■三番家老有吉家

            残念ながら表示できない。「四つ目紋」である。 
            有吉家は佐々木流であり、佐々木流は「四つ目結い紋」だが、有吉家は「田の字」を隅立てした様な形で、ご当主によると
            「四つ目紋」と呼んでおられるという。WEB上で簡単に見つかるかと思ったがどうしても見つからず大変以外であった。
            所蔵している「家紋の辞典」でも見受けない。有吉家系図に書かれているものを後日スキャンしてご紹介したい。

 

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■「拾集物語」戦記 肥後・熊本 古文書和本 佐々成政 加藤清正

2015-12-09 18:35:29 | オークション

拾集物語」戦記 肥後・熊本 古文書和本 佐々成政 加藤清正

「拾集物語」戦記 肥後・熊本 古文書和本 佐々成政 加藤清正

上下二巻揃いのようです。只今応札なし・・・・

コメント (5)
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■家紋のはなし 拝領紋

2015-12-09 11:42:50 | 家紋

                         六ッ銕線紋

 細川家が使っていた家紋に「六つ鉄線紋」があったと伝えられている。この家紋を山本三郎右衛門が拝領した。
その経緯について綿考輯録は次のように記している。

    山本三郎右衛門
    元亀四年岩成主税を御攻被成候時、御家に来り御合力十八人扶持被下候、直に忠興君に
    仕て御懇也、九曜の御紋御付被成候後、夫迄の御紋六ッ鉄線を政倶に被下、定紋二仕候
    と申伝候、丹後御入国之節、弐百石拝領、度々の戦功あり、関原御陳後、御召之御鎧・鞍
    置馬を被下、御知行四百石に被成下(一ニ豊前ニ而五百石)その後加々山隼人被誅候時
    三郎右衛門に被仰付、友次の御刀拝領仕候、三斎様御剃髪の時、山本も剃髪、宗の字を
    被下宗覚と改申候、三斎様御逝去両年前ニ病死 (綿考輯録・巻五)

また、「松笠菱紋」についても淀の築山家が拝領したとある。

牧家の「銀の中くり紋」については何度かその由来に付いて記したが、残念ながら現在はお使いではないらしい。

朝鮮王族李宗閑は文禄の役の折捕虜として日本に至ったが、細川家は継嗣・慶宅に高本の姓と家紋を与えて細川家家臣となした。
「違い山に大の字紋」とでも呼ぶのだろうか、史談会の会員でもあるご子孫の高本先生はお使いではないという。
    
細川家家臣--高本氏

 

その他にも拝領紋だと仰るお宅があるが、確たる証拠がない。今後の課題としたい。

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■設定未完

2015-12-09 06:50:22 | 徒然

 昨日PCはようやく使用可能に成りましたが、プリンターやスキャナーのワイファイ設定がうまくいかず悪戦苦闘しています。
スキャナーが動いてくれないと、三週間分ほど溜まっている「松寿庵先生」のお話その他、ご紹介したい資料が溜まりつつあります。
今日は何とかしたいと思っていますが・・・又忙しい一日に成りそうです。

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■細川忠利自筆書状

2015-12-08 14:26:30 | オークション

「細川忠利自筆書状」熊本藩初代 古文書 大坂の陣 大坂城  「細川忠利自筆書状」熊本藩初代  坂崎清左衛門・加々山主馬宛   

                一松平土佐殿之衆我等番所御通し候ハん由
                御申越候 ちそう申候て通し可申候 
                一米田所へ参候てからハ、両のきど口ニちやう
                ちん十つ々ともさせ、弓道具
                鉄砲なとハことわりを申土佐殿之
                他ハ通し申間敷候 
                一上様直之衆御番ニ御出候衆ハ格
                別の時候
                一弥夜中与可参候 必々夜明迄
                ちやうちんとほさせ可申候 以上
                一鉄砲ハ三十丁持せ参何もの
                道具かさミ候者てつほう迄も
                かさミ可申候 以上     

               

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◼️アナログを楽しむ

2015-12-07 08:51:57 | 徒然

忘年会の案内を出さねばタイムオーバーに成りそうで、昨日は一日その準備に費やしてしまった。pcが使えないことがこんなに不便であることを痛烈に感じた一日だった。手描きで案内原稿と案内地図を作りプリント、返信用の原稿も勿論手書きしてこれもプリント、21通作成して宛名書き、切手を貼り糊づけを終えたときは、残念ながら郵便の集配時間を過ぎてしまっていた。

このような作業は昔は当たり前であつた。例えば設計などの作業もt定規がドラフターに変わっても、やはり手書きに変わりなかった。cadという便利なコンテンツが登場して、なんとか乗り遅れずにpcの世界に親しんでいるが、緊急のこととはいえ、こんなアナログな作業をしてみると、なつかしさと温かさを感じてしまう。文章を書くのにも便利で簡単だからpcを使うのだが、書き残した原稿用紙等を見つけると、その時代がリアルにおもいだされる。たまに習字に親しんだり、スケッチを楽しんだりしているが、そんな機会を増やしたいと思っている。

さて今からポストに投函して参りましよう。

 

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◼️託麻ケ原

2015-12-06 16:40:41 | 熊本

熊本の大学、高校、中学、小学校などの多くの学校の校歌に取り入れられている言葉に「託麻ケ原」がある。阿蘇山の外輪の裾野に繋がる広大な平野である。かつては熊本における南北朝時代の大戦場となった。我が家からほど近い水前寺グラウンド横に、その大合戦の記念碑があつた。私が高校を卒業した昭和35年、熊本では第15回の国体が開催され、その後「熊本国体の森」が作られた。その中に「天授勤皇戦跡碑」があったのだか、その碑が現在も残っているのか残念ながら承知していない。確認しなければならないと考えているか、この広大な平野に多くの戦士が戦い傷つき、あるいは命を落とした。九州の覇権を争う大友、島津、龍造寺などの争いの場でもあったろうし、また秀吉の九州征伐の戦場であったかもしれない。西南戦争の戦場にもなり、太平洋戦争では米軍機による空襲で多大な被害を受けた。現在は自衛隊の西部方面総監部があるのも皮肉なことではある。

校歌の「託麻ケ原」に少々想いを馳せて頂きたいものだ

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◼️激痛 こむら返り

2015-12-05 20:38:50 | 徒然

朝から自転車で外出、2キロほど走つたところで又こむら返りの症状がでた。何とも痛くて、自転車を降りて症状の快復を待つてその後は3キロほどを押して帰る。帰りついてからも、猛烈な痛みが度々襲ってきて、どうやら落ち着いた今も脛に痛みがあり、寝てから再度痛みが来ないかと不安で仕方が無い。こうたびたび症状が出ると、単なる脚の疲れではないのではないかという不安が湧いてくる。とにかく思いだすだけでも生汗が浮かんでくる。明日は安静に過ごすことにしましょう

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◼️年末の難儀

2015-12-04 23:21:02 | 徒然

mのtvや電話、pc関係の工事が来週の火曜日となりました。それ迄は慣れない奥方のipadを使って書き込む事に成りますから、大した事は出来ないようです。

史談会の忘年会の案内原稿を作成し、往復ハガキにプリントしようとしたら、プリンターに情報が流せないことに気づいて愕然としています。明日は手書きで原稿を作りコピーして封筒に入れて、宛名書きをして何とか発送したいと考えています。pcのトラブルは、いろいろとダメージをもたらしました。住所録も消滅し、年賀状をどうするかが最大の悩みです。郵便物を引っ張りだしてまずは住所録作りに取り掛かりましょう。いろいろ余計事の多い27年の年末と相成りました。

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