すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「文具」は先をいっていた

2021年04月11日 | 教育ノート
 今朝の地元紙一面に大きく載った記事にある、一つの語が気になった。いわゆるGIGAスクール構想により、小中学校の児童生徒にデジタル端末が行き渡ることについて、こんな見出しがついた。「新たな『文具』になるのか」…「文具」と使った意図はわかるが、素直に疑問を持ち、改めてこの語を辞書で調べてみる。


 電子辞書にある「広辞苑」「明鏡国語辞典」、ともに「文具=文房具」となっている。文房具とは「物を書くときに必要な道具」であり、そこに違いはない。ワープロに慣れた頃、「この筆記具は便利だなあ」と感激したことを忘れられない。ただ、同時にだんだんペンと紙では書けない心身に疑問が湧いた。


 今回の措置も「キーボード必須条件」とあり、その意味で筆記具だ。しかし当然PCなので、それに留まるものではない。「文房具」を手元の日本語大辞典で引くと「書斎生活に必要な調度品の総称」とあり、さらに「学習用具をさすことが多い」とも記されている。そこまで読むと「ああ学習用具か」と収めたくなる。


 ところが深読み癖のついている自分は、編集者が「文具」を「文化をつくりだす道具」と使ったのでは…と考えてみたい。もう20年以上前から学校へのICT導入は強調されていたが、学習面では遅々として進まない現状を知る者としては、やはりこのステップは大きい。しかしまた、それが何をもたらすか。不安も残る。


 手で書くアナログ行為の衰退が今以上進行し、研究者らの指摘する「身体性と強く結びつく表現・思考」が弱体化しないか。文化は常に新しく作り出されるとはいえ…。ところが現状はもっと問題を孕む。既に2015年頃にスマホの浸透により「PC操作できない若者」が話題になったはず。文具は先をいっていたのだ。

今さらの自戒ではあるが…

2021年03月13日 | 教育ノート
 昨日の続き
 通知表の所見について活字化を積極的には認めなかった。ただ前例としてあった場合、それを禁止する判断も出来ずじまいだった。職員向けの通信で繰り返し書いてきたのは「活字の文章は、直筆よりも不利ですよ」ということ。つまり、貴方が伝えようとする考えや思いが伝わりにくいはずですよと。それは何故か。


 一つは、活字によって読みやすくなっていることが内容の深い理解を妨げる場合がある。視覚的なストレスのないスピード感は、ある時表面だけをなぞっていく。もう一つは、書き手の表現が画一化する危険性が大きい。現在の機器が持つ予測変換機能に浸食されやすい。つまるところ、読み手が相手を想像しにくい。


 直筆は暖かみがある、味のある字を書くねえ…といった懐古的表現に込められていることの、一部はまったく正しい。つまり、その人でなければ書けない字が持つメリットはかなり大きい。内容はどうあれ、人が判断し自らの手で書きつけたことは、読む者にある意味の緊張感を強いながら、伝達の役割を高めるのだ。


 だから、活字化にあたって頼りになるのは内容のみ。それはとても厳しい条件と、文章を点検する側として若干の脅しめいたことも書いた。自戒を込めて今思う。こうしたアナログからデジタルへの移行が、学校全体を覆う画一化に拍車をかけ、人間関係の薄さを助長したことをもっと強調し、意味づけするべきだった。

美しさを導く言葉

2021年02月11日 | 教育ノート
 『「ほぼほぼ」「いまいま」?!』(野口恵子 光文社新書)は、「クイズおかしな日本語」と副題があり、そうしたスタイルだった。「語彙・意味」「表記・文法」「敬語」の三章仕立て、最初の10問程度を全部正解できた(プチ自慢)ので、あとは読み流した形だ。「日本誤」という造語には納得したが、若干くどい気がした。

 ただ、あとがきの結びの一文が妙に心に引っかかった。

 「日本語に関して言えば、『正誤』はあっても『美醜』はないのではないかと、今は考え始めている。」

 言語が時代に連れて変化し、「誤用」が一般的になる例はよくある。従って日本語の「正しさ」といった場合の判断基準は、その時その時のものかもしれない。著者はそういう意味で「正誤」を使っている。では「美醜」はどうか。語そのものに宿る意味ではなく、それはやはり発する者、発する心の問題なのだと思う。


 なんとなくドイツ風。秋田ふるさと村だけど…

 先々週、以前勤めていた学校より「卒業文集」への寄稿依頼があった。何を書こうかと考え、その子たちが入学してきた時の式辞に入れた言葉を思い出し、次のような文章を送った。少し難しいかもしれないが、中学生間近であれば、少し背伸びしてもわかってほしい、年配者からの願いでもある。再記してみる。


***
 55名の皆さん、卒業おめでとう。
 皆さんは「日本の一番美しい言葉」とは何か、考えたことがありますか。

 坂村真民という詩人が、それは「はい」という返事だと書いています。

 実は六年前、入学式で私が最初に話したのはそのことでした。
 もちろん覚えている人はいないでしょうが、今そう聞いてどんなふうに思いますか。
 たった二音の言葉が一番美しいだなんて…。

 私はこんなふうに考えます。
「はい」とは、相手に応える言葉です。
「はい」とは、存在を知らせる言葉です。
 そして「はい」とは、自らを奮い立たせ、他者と心を響き合わせる言葉です。
 美しさは、人と人、人と何かをつなぐ時の思いの強さに導かれて現れます。

「はい」という言葉には、存分にその思いを込められるのです。
「はい」を響かせてこの校舎を巣立ち、「はい」の声とともに、新しい一歩を踏み出してください。
               
        多くの人が平穏を願う2021年春に
***

サンタに祈ったこと

2020年12月23日 | 教育ノート
 町広報の原稿締切が近づいていた。ひと月前に仕上げるので今回は2月号。今年度は6月から始めもう9回目となる。館の蔵書紹介をメインにしながら、気ままに書かせてもらっている。一応の構想はもっていたが広範囲な分野を包括する力量はなく、いよいよ手詰まり感も出てきた。そこで思いついたのが国語辞典


 どこの図書館にも辞典類は豊富に揃えられているだろう。ただし多くは「禁貸出」であり館内閲覧のみとなる。まあ「辞典を読む」という奇特な者はかなり少数だろうが、そこに見出せる価値を知らせることは意義があると考えている。そんなことを思うのは、やはり自分自身の教員時代の実践があるからとも言える。


 これは学級担任時代も多少あるが、校長になってから取り組んだ印象がより強い。残っているはずだなあと検索してみたら、確かにあった。深谷圭介氏の「辞書引き」実践に刺激をうけ、立命館小学校の研修会などに参加しつつ構想を練ったものだ。小規模校だったので、篤志家による図書費の寄付を全部使わせてもらった。

 国語辞典に頬ずりして


 その後の授業の様子も楽しそうに綴っていた。その後2年勤めたので、実際に子どもたちの成長の跡も見ることができた。驚くべきと形容していいほど、スピード感を持ち辞典を操る子も出てきていた。もちろん、各担任の指導のよさに支えられてだが、継続的な刺激を与え続けた(と思う)この実践は満足できる。


 結局広報に辞典の薦めは記したが、そんな思い出話は必要ない。少し感傷に浸っただけか…と思っていた矢先に、当時の子どもと偶然再会する。図書館を訪問した某学校の講師として勤務しているという。学習・運動共に優れた子で印象深い。こういう若者に県の教員として残ってほしいと痛切に願う。サンタに祈ろう(笑)

ふゆはふる、ふゆはふえる

2020年12月12日 | 教育ノート
 ちょっと難しそうな?本を読んでいる。意識的にゆっくり読み進めているが、なかなか入ってこない部分も多い。『三位一体モデル』(中沢新一)というその本は、章ごとの見開きに、格言というか箴言というか、偉人や著名な学者の文章が引用されている。第二章は折口信夫の「古代研究(民俗学編1)」からだった。

ふゆは触れることである。
ふゆとふるとは同じ事である。
ふゆは物を附加する事であるが、もとは物を分割する意味である。


 この三行目を読み、教職の時にこの時季になると何度か全校児童の前で「冬」の語の意味を話したことを思い出した。流れとしては、次のようなパターンだ。

◆「冬」と「寒」の漢字を出す
◆下部が似ていて、「ヽヽ」が「こおり」を表していることを話し、上の部分について説明する
◆「ふゆ」という語のでき方について話す(以下のように、★はパワーポイント画面もしくはフリップ)

ところで、★この「フユ」という言い方についてお話します
どうして「フユ」という言い方をするか、なんてふだんは考えないでしょうが
一つの言葉ができるにも、ながい時間がかかるのですよ。

「ふゆ」といういい方は、まず 
この★「ひえる」という言葉がもとになっているという話があります。
この★「ひえる」という言い方が、だんだんに「ひゆる」という言い方にかわってそして、この「ひゆる」がだんだんと「ふゆる」という言い方に変わって…★「ふゆ」となったということです。
それに似た言い方で「ふる」がありますが、この「ふる」がもとになったという話もあります。

実はもう一つ…「ふゆ」いう言い方は
この言葉をもとにしているという話もあります★「ふえる」
いろいろなものがふえていく、量や数がいっぱいになるということですね。
このふえるの「ふえ」が…★この「ふえる」が、だんだんと「ふゆる」という「ふゆ」に変化して、「ふゆる」となったということです。

どれが正しいかはわかりませんが、さっきの「ひえる」から変わったと考えるより、「ふえる」から変わったと考えたほうが、面白いなあと先生は思っています。言い方に変わってきたんだ、と考える人たちもいます。
「ふえる」という言葉を、自分に置き換えてみると、それは★「ふやす」ということですね。冬は春、夏、秋に比べて少し外で活動することは減るかもしれませんが、その分、校内でじっくりと取り組み、いろいろなことができる季節でもあります。
本をいっぱい読んでほしいし、漢字やことばを調べて知識もふやしてほしいと思います。また縄跳びの技をたくさんマスターすることもいいでしょう。
それから、友達といろいろな活動をすることを通して、協力する心もふやしてほしいと思います。


 と、まあかなりコジツケっぽいが、二学期のまとめに向かう子どもたちへの励ましとしては、ふさわしいと言っていいだろう。

 ところが大人としては、折口信夫の文章を読むと、少し考えざるを得ない。
 文章はこう続く。

ふるはまな(外来魂)を人体に附加する事で、
冬になると総てのものをきり替へるので、
魂にも、外から来る勢力ある魂を附加するのである。


 冬に「ふる」となれば、雪しか考えられない地域に住み続けている。
 それも「まな」となり得るかと問えば、その厳しさが与えてくれる「魂」はあるだろうと…前向きに考えたい。

中学生へメッセージ②

2020年11月26日 | 教育ノート
11./24図書館出前講座より

 中学校への資料提供(というか激励文だな)の二つ目は、「総合的な学習の時間」のことだ。中学生相手にこんなことを記すのは、立場上「読書」へ結びつけることが使命と言えるからだ。書きながら、改めて自分の教職歴の中で、いわゆる「総合」創設の意義は考えさせられた出来事だったことを思い出す。

・・・・・・・

◆今、君たちが活動しているのは、「総合的な学習の時間」という枠。この時間は、今から約二十年前に始められた。国語や数学などの教科、また道徳・特別活動とは違い、学校ごとにその内容が定められる。
 小学校では例えば「〇〇タイム」などと名づけられ、様々な活動をしたはずだ。福祉や情報、国際理解を学んだこともあったろう。郷土芸能に取り組んだ人もいるかもしれない。多くの中学校では、今取り上げている職業や将来の生き方なども、この時間で扱われる。
 
 さて、ここで改めて考えてほしいのは「総合」とは、いったい何を学ぶのかということだ。「横断的・総合的な学習」そして「探究的な見方や考え方」というキーワードがあり「学び方」を身に付ける機会という点は多くの人の共通の考えであった。では、どう具体化するか。
 この時間のあり方をめぐって、教育関係者たちが盛んに議論をしていた頃、宇佐美寛(千葉大学名誉教授)という研究者は、「総合」を学ぶ姿として、つまりこれだけが実現すればよいのだと言い切った。

 「 体験 ⇔  読書 」

体験と読書の往復運動」があることこそ、総合の学びの姿である。
 
 直接見聞きし、感じたことを受けとめて、テキストに向かう。そこで得たこと、考えたことをもとに動く、試す、そしてまた本へ…。学びとは足を止めないことだ。

・・・・・・・

 あれから20年以上が過ぎている。
 学校における読書活動はどう推移したのだろう。
 自省の念を込めて語れば、「総合」の理念とは別の思惑ともとれる学力検査の悉皆実施が大きく足を引っ張った印象が残る。

 踏ん張りどころは今もあるか。

中学生へメッセージ①

2020年11月25日 | 教育ノート
 昨日、近くの中学校でキャリア学習の活動が行われ、「図書館出前講座」という形で協力させていただいた。今日の図書館ブログに、そのことをアップした

 後半部に書いた資料提供だが、能書きタレの性格が出てしまい余計なことかと若干思いつつ、二つのことを書いた。
 一つは「仕事」のことである。再記してみる。

・・・・・・・・

「そもそも、仕事の意味って なんだろう?」

◆仕事という語を、大型の辞書で引いてみる。ふつう私たちが思う「生計を立てる手段として従事する事柄。職業」という意味の前に、次の説明が書かれてあった。

何かを作り出す、または成し遂げるための行動
           『大辞泉』(小学館)
 
 世の中にいる全ての人が、職業としての仕事についているわけではない。しかし、多くの人は額に汗をし、頭を悩ませ、手足を駆使しながら、目の前の「何か」と向き合っている。そして、そこでつくり上げられたモノや成し遂げられたコトによって、世界はまわっていると言っていい。
 
 まど・みちおの『朝がくると』という詩を知っている人はいるだろうか。「ぼくが作ったのでもない」水道、洋服、本、道路等に囲まれ、学校へ向かう「ぼく」は「いまに おとなになったら」と、こう決意する。

ぼくだって/なにかを 作ることが/できるようになるために

 今活躍している若いアーチストたちに、少なくない影響を与えた小沢健二というミュージシャンがいる。
 彼は、数年前のライブで、こんなふうに詩の朗読を始めたという。

仕事をせんとや、生まれけむ

 ・・・・・・・・・・

 明日は、もう一つのことを…。

これでよいのだとは思わない

2020年10月16日 | 教育ノート
 もう二十年近く前だ。隣市の大きな会場でPTAの県大会が開かれ、当時『国家の品格』でベストセラー作家となった藤原正彦氏の講演を聴いた。繰り返し語られた「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数、あとは十以下」というその言葉に、「国語人」として強く背中を押されてきた。しかし、時は過ぎて…。


 教育関係の情報誌の今季号冒頭に、その藤原氏の文章があった。「これでよいのだろうか」と題されたエッセイは、長年主張してきたことがなかなか実現されず、いわば逆方向に進んでいるような状況を憂えている内容だ。英語、パソコンがますます重視され、時間的に国語教育を圧迫しているという認識を持っている。



 今現在、学校現場に居ない者が内情を語ることは憚られる。ただ現職中からその傾向があったことは認めざるを得ない。もちろん、国語教育の質という問題を抜きに議論はできないことだ。氏が最も重視する「読書」に関して、国語教科書で見る限りは、かなり意識されて編集されてきたように思う。しかし、現実は…


 「朝の読書」で一時全国的に盛り上がった「読書の時間」は、一部の学校を除きかなり変節してしまっているのが現状だろう。それは全国学習状況調査の実施などが影響したし、「グローバル教育」の名のもとに次々に導入される「新奇」な活動への対応に振り回された感もある。近視眼的になった現場が透けてみえる。


 「初等教育の目標は、何と言っても『自ら本に手を延ばす子を育てる』ことにつきる」という氏の考え方に、まだ共感を覚える自分がいる。正面きって携わらなくとも、条件整備や支援態勢の構築に関わる仕事の一役を担っているわけだから、アピールを続けていきたい。何を優先するか…またネジを巻いておこう。

九月の修学旅行と聞いて

2020年09月29日 | 教育ノート
 図書館見学の引率で来館した知り合いや、読み聞かせで訪れた小学校の職員から、修学旅行の話題を聞いた。「一学期中の仙台・松島」が定番だった旅行先が、このコロナ禍により変更を余儀なくされ、東北の他県や県内などになっているとのこと。もちろんそれなりに活動も工夫され、楽しいひと時を過ごすことだろう。



 しかし、やはり定番は定番のよさがあり、世代を超えて共通体験もしくは異なる活動が話題になりやすいので、残念な気持ちもある。そういえば、と思い出すのが2011年であった。あの年も時期・旅行先の見直しが検討され、勤務校では九月末の実施となり、行先は保護者の希望もありそのままだった。印象深い。

 そのことを、こう記していた。
→九月の修学旅行の教訓(2011.10.01)

 淡々と書いてはいるが、実は携帯から地震を知らせる音が響いた瞬間は、今でもくっきり思い出せるほどだ。近隣の学校の多くは仙台・松島を避けて設定していた。まして野球観戦を入れた学校は少なかったはずだ。けして甘く見ていたわけではなかったが、この決断が良かったかどうか一瞬頭を過ったのは確かだ。


 ただあの大震災以降、様々な状況を想定しつつ、シュミレーションし文章化し点検しあったりしてきたことの「意義」を確認するのも、この場だなと思ったことも覚えている。どんなに対策をとっても、細心の注意を払っても避けきれない事態はある。肝心なのは、やはりそこまでの準備と胆力(覚悟)づくりだろう。

10年後の秋に実りを想う

2020年09月25日 | 教育ノート
 昨日、10年前の9月の学校ブログを見始めたら、つい止められなくなり、月末まで見てしまった。休みの日以外はほぼ毎日更新していた。ネタに困ることはなかった。9月だったこともあり、各スポーツ少年団の大会なども休日に開催され、応援がてら様子を写真に撮り、その頑張りや結果などもお知らせしていた。


 M小には相撲部があり、町祭典に合わせた奉納相撲大会が催されると、いつも大活躍だった。これは本当に楽しみだった。練習も含めて身体ごとぶつかり合う機会を減らしつつある学童期において、貴重な活動といってよい。もちろん今年は数十回を数えたその大会も行われることはない。運動面の制限は影響大だ。


 相撲部があったことも手伝って当時幕内力士だった豪風関が来訪したのもこの月だった。2010/09/29の記事である。確か引退のときにそのことを書いた。プロの持つ雰囲気に直接触れることができた幸せな一コマだった。この九月場所も戦国時代の様相で盛り上がっているが、やはり郷土力士がいないとさみしく思う。


 運動ばかりに力を入れていたわけではない。9月には地区教科研究会の公開授業が一つ、校内研も一つ実施されていた。授業者である当時三十代は今はそれぞれの学校で中心的役割を果たしているだろう。2010/09/30つまり年度前半締めの一日には、授業研究セミナーと称して外部講師を招いた研究会を実施していた。


 仕事の核ととらえていた「研修」を具体化したセミナーを、どの学校でも続けてきた。その月は隣県から交流のある実践家の照井先生をお招きし、説明文の授業をしていただいた。協議のキーワードをプロジェクターで映して共有する形も試みた。結構タタカッテいたなあ。何か実ったかのかなあと思う10年後の秋。