2018読了41(5冊シリーズ)
『100歳のジャーナリストからきみへ』(むのたけじ・菅聖子 汐文社)
写真はこちらへ→http://spring254.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
「生きる」「学ぶ」「育つ」「平和」「人類」という全五巻。体裁は同じであり、見開きの右側ページに、むのの短く鋭いコトバと写真や補足的なことが載っている。左ページは菅による解説的な文章。そのコトバの背景を説明したり、むのが語った言葉を添えたりしている。小中学校の図書館には揃えたいシリーズだ。
子どもの目になって、というより、今の自分として素直に読んでみて、より強く感じる箇所があったのは、圧倒的に「学ぶ」の巻だった。「学ぶ」本質をよく表していると思ったのは、次のコトバだ。
学ぶ営みは一人で始めて、
一人へ戻っていく。
始めた自分と、
戻っていく自分との間に、
たくさんの人が入れば入るほど、
学んだものは高くなり深くなる。
ここには、「学校」の存在価値がすばりと言い表されているようだ。ちなみに、そのページに添えられた写真は「1930年代、母校六郷小学校の全景」である。
学び方に関して、独特のコトバがあった。
人間の観察眼は三種類ある。
望遠鏡の目と、
顕微鏡の目と、肉の目。
観察を洞察へ高めるには、
三種類の活用に
軽重をあらしめてはならぬ。
「望遠鏡の目」「顕微鏡の目」に関しては、類したコトバは多い。しかし「肉の目」とは…。これは、菅の解説には「等身大の視点で見ること。正面から向き合って、見えたものや感じた気持ちを大切にしましょう。」とある。この肝心かなめとも言える「肉の目」は、むのが一番強く保持し続けたものではないか。
読書三昧を続けているグータラを元気づけてくれるコトバもあった。
雑食の胃袋を持つ人間は、
頭脳にも雑食が必要である。
さらに、読書の作法についても、こんなふうに語る。
読書は第四の食事である。
望ましい作法は、(略)
毎日欠かさず適量を摂取すると
一番ためになる。
「ハイッ、むの先生」と元気のいい声で返事をしたくなる。
『100歳のジャーナリストからきみへ』(むのたけじ・菅聖子 汐文社)
写真はこちらへ→http://spring254.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
「生きる」「学ぶ」「育つ」「平和」「人類」という全五巻。体裁は同じであり、見開きの右側ページに、むのの短く鋭いコトバと写真や補足的なことが載っている。左ページは菅による解説的な文章。そのコトバの背景を説明したり、むのが語った言葉を添えたりしている。小中学校の図書館には揃えたいシリーズだ。
子どもの目になって、というより、今の自分として素直に読んでみて、より強く感じる箇所があったのは、圧倒的に「学ぶ」の巻だった。「学ぶ」本質をよく表していると思ったのは、次のコトバだ。
学ぶ営みは一人で始めて、
一人へ戻っていく。
始めた自分と、
戻っていく自分との間に、
たくさんの人が入れば入るほど、
学んだものは高くなり深くなる。
ここには、「学校」の存在価値がすばりと言い表されているようだ。ちなみに、そのページに添えられた写真は「1930年代、母校六郷小学校の全景」である。
学び方に関して、独特のコトバがあった。
人間の観察眼は三種類ある。
望遠鏡の目と、
顕微鏡の目と、肉の目。
観察を洞察へ高めるには、
三種類の活用に
軽重をあらしめてはならぬ。
「望遠鏡の目」「顕微鏡の目」に関しては、類したコトバは多い。しかし「肉の目」とは…。これは、菅の解説には「等身大の視点で見ること。正面から向き合って、見えたものや感じた気持ちを大切にしましょう。」とある。この肝心かなめとも言える「肉の目」は、むのが一番強く保持し続けたものではないか。
読書三昧を続けているグータラを元気づけてくれるコトバもあった。
雑食の胃袋を持つ人間は、
頭脳にも雑食が必要である。
さらに、読書の作法についても、こんなふうに語る。
読書は第四の食事である。
望ましい作法は、(略)
毎日欠かさず適量を摂取すると
一番ためになる。
「ハイッ、むの先生」と元気のいい声で返事をしたくなる。
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