学術書や専門書は必要もないし興味もないが、こうしたタイトルには惹かれ、思わず注文してしまう。結果ツマランかナカナカかは、半々ぐらいだろうか。この新書は後者だった。哲学のガイダンスではないけれど、名前ぐらいは知っている古今東西の哲学者や文豪、研究者等が登場する。著者なりの紹介が面白かった。
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引用の仕方で印象付けられたかもしれないが、哲学者とはまさに「言い切る人」だ。極端とも感じられる章句こそが哲学の肝と言っていいか。冒頭のデカルトはかく語る。「決断したら迷うな」。そこに到る根拠は「どうせ(道は)わからない」。そしてその先にはもちろん、失敗しても繰り返して進む決意が鎮座している。
古代ギリシアのパルメニデスは「存在しないものについては考えるな」と言った。これがグローバル化の考え方につながっていると著者は示す。当然、死者に向ける姿勢と関わり、西洋の近代化が進められた。戦争、紛争はもとを辿ればそこに行き着くのか。しかし文明がいかに発達しても潰せないのは自然ではないか。
レヴィ=ストロースと「未開社会」のことが書かれている箇所で、アイヌ社会が取り上げられかなり刺激的な文章に出会う。「(アイヌ社会は)文字の存在を知らなかったのではなく、持たないことを選択したのだ。持てば必ず社会と自然の均衡が崩れる。それを直覚し…」。文字に溺れている自分は、沈んでいくのか。
「小出しの哲学」と題されポパーという学者が紹介される。「批判的合理主義の認識論を提唱」と辞書にある。具体的には、社会の「不具合をどう解消すべきか」は、全体でなく部分的に修正した方がいいという考えだ。真逆も必要であるが、今我が身に寄せれば、諸方に目を配り、部分修正に勤しむしかない。
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引用の仕方で印象付けられたかもしれないが、哲学者とはまさに「言い切る人」だ。極端とも感じられる章句こそが哲学の肝と言っていいか。冒頭のデカルトはかく語る。「決断したら迷うな」。そこに到る根拠は「どうせ(道は)わからない」。そしてその先にはもちろん、失敗しても繰り返して進む決意が鎮座している。
古代ギリシアのパルメニデスは「存在しないものについては考えるな」と言った。これがグローバル化の考え方につながっていると著者は示す。当然、死者に向ける姿勢と関わり、西洋の近代化が進められた。戦争、紛争はもとを辿ればそこに行き着くのか。しかし文明がいかに発達しても潰せないのは自然ではないか。
レヴィ=ストロースと「未開社会」のことが書かれている箇所で、アイヌ社会が取り上げられかなり刺激的な文章に出会う。「(アイヌ社会は)文字の存在を知らなかったのではなく、持たないことを選択したのだ。持てば必ず社会と自然の均衡が崩れる。それを直覚し…」。文字に溺れている自分は、沈んでいくのか。
「小出しの哲学」と題されポパーという学者が紹介される。「批判的合理主義の認識論を提唱」と辞書にある。具体的には、社会の「不具合をどう解消すべきか」は、全体でなく部分的に修正した方がいいという考えだ。真逆も必要であるが、今我が身に寄せれば、諸方に目を配り、部分修正に勤しむしかない。
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