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読書録8~乱読し春待つ

2025年03月03日 | 読書
 2月も相変わらず乱読。2冊は数年前のことが書かれてあり、改めて大事な「とき」であったことを思い起こす。



 このエッセイが週刊文春の連載であることは知っていた。まれにその雑誌を買ったときに読んでいた。改めて文章の上手さを感じるが、「好きなもの」について絶えず関心を払っていると、材料が豊富にあり、手順も一通りでなく多彩になるから、いい仕上がりになると想像してみた。料理の本道は執筆に通ずるのだ。

 「あてのない湯」という一篇が心に残る。料理の手間を語るとき、料理店「吉兆」の主人の話に「むだ湯を用意する」という話があったことを思い出す。「使い道のわからない湯」が、様々な役に立つという場があることを、達人たちは身をもって知っている。初めから効率の奴隷でいては見えぬ境地だと思った。



 2020年の3月~6月頃に書かれた論考である。5年前だが今は「コロナ後」であろうか。それにしても私たちは、あの頃のことをどれほどの重さで捉えているだろう。もちろん人様々。正直に吐露すれば自分自身の記憶も頼りない。ただ言えるのは、人間の本性はやはり「危機」に瀕した時に可視化されるということ。

 今も連呼される時が多い「不要不急」という語を突き詰めているのは養老孟司氏。「人生は本来、不要不急ではないか」との一言は、現実の用法を俯瞰した見方であり、個の尊厳を自省させられる。「現代の知性たち」は語る。学ばなければ、いつまで経っても「敵」の姿は見えなかったり、見間違えたりするものだと。



 なんと70年以上前に出版されたこの話を読んでみようと思ったのには、ちょっとした理由がある。「あすなろ」という樹木の存在は小学校6年生で知った。当時(昭和40年代前半)の大人たちは、そして子どもたちはその響きをどう受け止めたのか。何の象徴で、その結末は…。もう少し考えて、浮かぶことを書きとめたい。


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