ほぼ一年ぶりに野口芳宏先生にお会いし、お話を拝聴した。今回の内容は道徳。「思うようにならないこの世」と題された授業提案は、世の中に蔓延している、見せかけの優しさと思いやりに満ちたこども中心主義の教育を厳しく警告するものだった。まさしく、毎日営まれている実践、大人の言動が問われている。
変化の激しい社会にどう対していくか。認識と行動で区分し粗く四つ考える。つまり「変化を良しとし進める」「変化を認めるが、是としない」「変化は認めないが、流れに任せる」「変化を認めず抗う」。多数は、中間項がより細分化され、具体的な姿になって現れるだろう。それを講座のテーマに照らし合わせてみる。
思い通りにならないことにどう向かうか。それは「トーソー」の判断、かの『スマホ脳』にある「逃走か闘争か」となる。価値観の基底をそこに据えれば、私なら「闘争」を選びたい。しかし、その状況判断や場面打開の力をつけることこそ教育ではないか。結果それが逃走になっても目的地がなくなるわけではない。
心に据える一つの芯で、世界や国の「騒動」を見据えることはできない。その必要もない。それより目の前の、身の周りの現実への処し方として、「強く、厳しくあれ」は片手から手離されない。そうでなければ、社会全体の緩みが自分を襲うことも防げない。思うようにならないから面白いと吹っ切る強さも欲しい。
さて今回、久しぶりに山中伸之先生のお話を聴き、もう12年も前にお招きし研究会を開いたことを思い出した。このブログにもある程度のまとめをしている。
2012.8.12
2012.8.20
もちろんその後も何度となくお会いしたが、今回は自ら会長を務める「実感道徳」の大会であり、メイン講座の「語り」が実に身に沁みた。参加者は多くなかったが、20代から60代までそれぞれの感受力や、瞬発的な話力が印象的な会だった。
変化の激しい社会にどう対していくか。認識と行動で区分し粗く四つ考える。つまり「変化を良しとし進める」「変化を認めるが、是としない」「変化は認めないが、流れに任せる」「変化を認めず抗う」。多数は、中間項がより細分化され、具体的な姿になって現れるだろう。それを講座のテーマに照らし合わせてみる。
思い通りにならないことにどう向かうか。それは「トーソー」の判断、かの『スマホ脳』にある「逃走か闘争か」となる。価値観の基底をそこに据えれば、私なら「闘争」を選びたい。しかし、その状況判断や場面打開の力をつけることこそ教育ではないか。結果それが逃走になっても目的地がなくなるわけではない。
心に据える一つの芯で、世界や国の「騒動」を見据えることはできない。その必要もない。それより目の前の、身の周りの現実への処し方として、「強く、厳しくあれ」は片手から手離されない。そうでなければ、社会全体の緩みが自分を襲うことも防げない。思うようにならないから面白いと吹っ切る強さも欲しい。
さて今回、久しぶりに山中伸之先生のお話を聴き、もう12年も前にお招きし研究会を開いたことを思い出した。このブログにもある程度のまとめをしている。
2012.8.12
2012.8.20
もちろんその後も何度となくお会いしたが、今回は自ら会長を務める「実感道徳」の大会であり、メイン講座の「語り」が実に身に沁みた。参加者は多くなかったが、20代から60代までそれぞれの感受力や、瞬発的な話力が印象的な会だった。
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