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有限なる時間を文質彬彬と

2021年05月16日 | 雑記帳
 風呂場読書の在庫がなくなったので、書棚から再読でもしてみようと『復路の哲学』(平川克美 夜間飛行)を取り出した。語り口というか文体に惹かれるんだなと思う。内容に難しい箇所があっても読み心地がいい。「還暦を過ぎると風景の色が変わることについて」の章では、と「読書」のことについて述べている。


 「ある年齢を過ぎると、(略)意識の中に、『読むべき本の箱』と『読まなくてもよい本の箱』があって、本を手にした瞬間に、そのどちらかに振り分けるようになる」…往相と還相とでは時間の意識が異なり、有限が見えてきた者の特徴として現れると言う。自分も徐々にそんな感覚を持ってきたのか、と想ってしまう。


 一年前に発刊された、湊かなえの『カケラ』という小説を7割ほどで止めてしまった。美容整形をテーマにしたミステリで、複数人物の独白で構成するパターンは相変わらず巧みだが、何だか妙に「おしゃべりだな」と感じてしまった。もちろん黙っていては成り立たない物語の世界だが、その饒舌さに飽いたようだ。


 併行して読んでいた平川の文章の影響もあったかもしれない。変な話だが、滔々と語り続ける登場人物たちに顔を背けたくなったのだ。有限な時間のなかで自分が読むべきものは、もっと淡々と言葉少なくあっていいのではないか。詩や絵本などは適するかもしれないと思えてきた。まあ目もしょぼしょぼしてくるし…。


 孔子に「文質彬彬として、然る後に君子あり」の言葉がある。「内面と外面をバランスよく保て」といった教えとされているようだ。「文」を表に現れる言動、「質」を心の部分と考えてもいいだろう。自分は無理なので、せめて見聞するモノには気を配りたい。有限なる時間に文質彬彬なるものを求めて、ということだ。


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