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桜と絵本と豆乳と

国語教育への違和感の原因

2006年01月09日 | 読書
現在の国語教育(本書で扱ってきたような文章理解ですが)に違和感を持っている学生は決して少なくはありません。ということは、その時期を通り過ぎた大人の多くも、かつては少なからぬ違和感を持っていただろうと推察されます。文章を読むのは好きだけれど、国語の授業はちょっと、と感じている人は少なくないのです。その原因は簡単です。文章の解釈は自由であっていい、と先生に言われながら、実際の授業や試験では、ただ一つのものが正答とされたことに対する違和感です。
西林克彦『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因』(光文社新書)


著者の主張のキーワードは「整合性」である。
整合性という観点で考えると
「最も適切なものを選べ」というような設問は避けるべきだと…。
読みの過程で、整合性のないものを指摘し
その後そこから絞り込んでいくという活動を私もずいぶんしてきた。
問題は、絞り込んでいく具体的な学習がどう行われるかではないか。
より適切なものを選ぶことが、読解力の一部であることは間違いない。