すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

寝床と風呂でハルキ文庫

2024年07月05日 | 読書
 1987年に晶文社から単行本が出ている。Re56『食卓一期一会』(長田弘 ハルキ文庫)は、全66編が食べものに関わる詩集である。もっとも冒頭の詩『言葉のダシのとりかた』が表すように、レシピや食事場面を取り上げながら、人生の機微や深遠さについて語る。この詩人の創作姿勢のエッセンスが詰まっている。


かつおぶしじゃない。/まず言葉をえらぶ。」と始まり、カビを落とし、削って、意味を選び、ゆっくり沈め、アクをすくい、沸いたら火を止め、「黙って言葉を漉しとる」それが「言葉の一番ダシだ」と続く。それが本当の味であり、他人の言葉をダシにせず「いつでも自分の言葉をつかわねばならない」と締め括る。


 『ジャムをつくる』に共感する。これはイチゴやニンジンなど「いろんなジャムをつくれたらいいな」という構成が続き、最終連で「『わたし』というジャムもつくりたいな」と切り出す。様々なことをすり下ろして、煮詰めていくわけだが、思わず自分もそんなふうに鍋の中で一つになってしまえたら、と妄想する。




 「連作短編のおもむき」を持っていながら、確かに長編小説であるRe57『おやすみ、東京』(吉田篤弘 ハルキ文庫)。これは実に軽快に読むことが出来た。いわば群像劇のような味わいがあり、それらを著者独特に「交差」させる手法が巧みで心地よい。これは最近読んだ作品も初期の『つむじ風食堂の夜』も連想せる。


 「運転手の松井さん」という設定があり、あまんきみこの名作『車のいろは空のいろ』を絡ませたセンスには恐れ入る。それを現代世相にマッチさせる巧みさだけでなくある面清々しさも感じさせた。書名に表れているように夜の都会のドラマ。地方在住者はやや憧れの気持ちで読んだが、都会在住者はどう読むのか。

梅雨時の絵本読み

2024年07月03日 | 絵本
 2月末に書いてから「絵本」そのものを取り上げたメモはなかった。しかし、読み聞かせはこども園、小学校で5月当初から始めていて、記録を残す余裕がなく新規の取り上げが少なかったことが原因だろう。同じ本を選んでも今の様子を残しておくことは大切なので、随時記しておき見直していく。


 こども園は自分なりのクールを決めていて、今日が最初の終了日。今回四か所で続けたのは、次のラインナップだ。大型絵本の『ドアがあいて…』『にゃーご』、そしてPPT化した本は『こどもかいぎ』『カ、どこいった?』。内容、ジャンルともまちまちで、子によって好みが違う。歓声は『カ、どこ~』が多く、鉄板だ。


 

 幼い子向けのようだが『ドアがあいて…』は良くできている絵本だと思う。舞台が固定されている。病院の待合室に一人ずつ入っていくという、一種の不安を暗い色遣いの場面で表しつつ、「患者」が出てくるときのユーモラスな表現では安堵感を漂わせる。最後にどうなるか、声でじっくり惹きつける技も要求される。


 

 『こどもかいぎ』…最初に「会議って、知ってる」と問いかける。年長だと「話すること」程度は言える子がいる。この会議が「おこられた時はどうするか」という「お題」なのが子どもに寄り添っているし、登場する子どもの反応から親の様子も描かれていて楽しい。こんな形で、ふだんの生活を考えることも大切だ。


 こども園読み聞かせも三年目。今年は図書館事業という形でなく、完全にボランティアだが、コナレテきているかなと感じる。まだ「館長さん」と呼んでくれる子もいて、「いや、私は…」と否定しつつも、何か別の名称(愛称?!)が必要かと思ってはいるが、絵本爺さんではあまりに昭和な気(笑)がして…決めかねる日々。