「10歳の放浪記」上條さなえ
児童文学作家・上條さなえさんの自伝。
1960年(昭和35年)著者は小学校5年生に進級する。
しかし、父が酒を飲んで暴れるため、家庭崩壊、母と姉は出て行く。
借金取りが来るので、最初は親戚の家、後に池袋の簡易宿泊所を渡り歩く。
そんな10歳の頃の1年を子どもの視点で描いている。
父親が肉体労働で僅かな金を稼いで、その日暮らし。
そんなある日、池袋の大衆食堂のテレビが、カトリック系最年少43歳ケネディ大統領の就任式を伝える。
「たいしたもんだねぇ、倉さん。俺、五十一だぜ。日本の首相の池田勇人は、六十一か二だろ、すごいねぇ、アメリカは」
父は店員の、通称クマさと仲よしだった。クマさんは父のことを、倉田という姓から取って「倉ちゃん」とか「倉さん」と呼んでいた。
「だって、日本は戦争に負けてから十年だろ。若い政治家なんて急には育たないさ。去年の秋に厚生省がやった国民栄養調査ではさ、国民の四分の一が栄養不足だったんだろ」
父はそう言いながら、梅割り焼酎をおかわりした。
「それで、首相は『貧乏人は麦を食べなさい』って言ったのか。倉ちゃんさ、だめだよ、こんなの飲んでちゃ。麦を食べなくちゃ」
早苗は父とクマさんの会話をききながら、ケネディ大統領の言葉を思い出していた。
「国が何をしてくれるか、ではなく、国のために何ができるかを問うて欲しい」
早苗は同じ画面に映ったケネディ大統領夫人の毛皮のついたコートや、そのそばにいた女の人の毛皮のショールを見て、アメリカという国の豊かさを感じた。
この地球上に、自分のような貧乏な人間もいれば、あのテレビ画面に映し出されるお金持ちの人間もいるのだと、早苗は思い知らされた。
4月になって、父は風邪で熱を出して寝こむ。
「なこちゃん」
父が目を開けた。
「ン?」
早苗が父の顔をのぞきこむと、
「死のうか・・・・・」
と、ポツリとつぶやいた。
「やだ。まだ、マティーニを飲んでないもん」
早苗は首をふった。
「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行くところがないんだよ」
さて、ここからの早苗の行動力がすごい。
ケネディ大統領の言葉を思い出す。
(これはつまり、親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子が何をできるか、に替えられる)と、早苗は思った。
(わたしが働く、つまり、稼げばいいんだ)
早苗は翌日、パチンコ屋に走っていく。
落ちているパチンコ玉を七個拾って打つ。
無くなってくると、ブザーを押す。
「どうかしましたか?」
台の上から顔をのぞかせたお兄さんは、早苗と目が合うと、うなずいて台の中に戻った。
それから、早苗の受け皿は玉であふれた。
早苗は、これまで池袋で生活してきた人脈で、パチンコ屋のヤクザと親しくなっていたのだ!
さて、この作品には続編がある。
いずれ読もうと思っている。
【ネット上の紹介】
10歳のわたしはホームレスだった 児童文学作家・上條さなえの10歳の1年間を綴った自伝。複雑な家庭で生まれ10歳でホームレス生活をおくった著者を支えたのは、出会った人々の優しさだった