「漂流するトルコ」小島剛一
4/21、「トルコのもう一つの顔」を紹介した。(→「トルコのもう一つの顔」小島剛一)
すばらしく面白かった。
専門的なことを書きながら、これほど面白い作品は珍しい。
さて、これは「続編」、である。
前作を読み終わってすぐ、続きが読みたくなった。
しかし、書店に無く、図書館にも無い。
出版社からの「取り寄せ」しかないが、これがなかなか来ない。
(待ちくたびれた頃に、やっと手元に来た)
前作では、1986年、「国外自主退去」させられるところで終わった。
著者には政治的意図は全くないのだが、少数民族の世界に立ち入り過ぎた。
トルコ政府も把握していないトルコ国内の事情に深入りしすぎてしまった。
そして、結果として「国外自主退去」である。
トルコ入国を諦めた著者だが、1994年トルコ入国をはたす。
政府関係者から「ブラックリストに載っていない」、と告げられたからだ。
そして、2003年再び「国外追放」となるまでのトルコ訪問を描いている。
P336
「先生は不思議な方ですね。決して政治思想や経済体制の議論には加わらないのに、言語に関しては私たちには言いにくいことをずばりと言ってのける。動詞の活用だとか諺だとか民謡だとか、浮世離れしたことだけを調べているのにラズ人やクルド人の心を惹きつける」
7月12日、アルハーウィ町へ戻って来たところで、私服警察4人に取り囲まれる。
イスタンブール空港で著者を見張る警察官が横柄な態度で口をきいてくる。
「俺たちゃ、何も知らされていないんだよ。お前、国外追放だなんて、いったい何をしでかしたんだ」
著者はラズ語を研究して文法書を刊行しただけ、と説明する。
「ラズ語の文法書だって?俺はラズ人なんだよ。そっちの同僚もそうだ。お前、ラズ語が話せるのか」
著者は、『ほんの少し』ラズ語の知識を披露する。その後、「お前」から「先生」に昇格する。
やがて、警察官の引継ぎで勤務交替があった。
この二人も、言語学者だという日本人がなぜ国外追放されるのか、興味津々の様子だった。質問にあれこれ答えているうちに、トルコの少数民族言語状況の講義のようになった。ある少数民族の名を挙げたときに、二人の目許が特徴的な微細な動きを見せた。喉仏も同時に動いたが、声は出さない。しかし互いに一瞬目を交わした。その時から二人は、私に対して敬語を使い始めた。やがて、そろそろ日付も変わる時刻になる。
(中略)
二人は、任務どおり、私をフランクフルト往きの航空機に搭乗させる。別れ際、二人揃って丁重に挨拶する。
「閣下、ご無事をお祈りします」
そう言いながら、年長の男が、手袋を外して、無言で握手を求めた。差し出す右手を固く握りながら、私はそこに左手を添えて固く握り返す。もう一人も手袋を外した両手を無言で差し出す。両手で固く握り返す。
「いつかまた逢いましょうね。トルコで」
「インシャッラー」
と、二人は異口同音に言い、二人同時に、敬礼した。
感動の「続編」である。
2作目になっても、まったく失速無し。
1作目同様、ミステリ小説のような面白さ。
この著者、只者ではない。
【ネット上の紹介】
政府に弾圧され続けるトルコの少数民族の言語と、その生活の実態を、スパイと疑われながら、調査し続けた著者。前著『トルコのもう一つの顔』(中公新書)が、まるで推理小説のようなスリルに満ちた物語と、著者の少数民族に対する愛情に涙が出たと絶賛され、長らく続編が待望されながら20年。前著でトルコを国外追放されたあと、再びトルコへの入国を果たし、波瀾万丈のトルコ旅行が開始される。著者の並外れた行動力と、深い知識、鋭い洞察力が生み出した画期的トルコ紀行。