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「心にナイフをしのばせて」奥野修司

2011年09月05日 21時19分34秒 | 読書(ノンフィクション)


「心にナイフをしのばせて」奥野修司

少年犯罪がテーマ、ノンフィクション。
被害者に寄りそって、30年の苦しみが詳細克明に描かれる。
読んでいて、その閉塞感、やるせなさに苦しくなる。
この作品の特徴は、ノンフィクションなのに被害者側一人称で語られること。
これが圧倒的なリアリティと臨場感を演出している。
いくつか文章を紹介する。

P43
少年法に〈少年の健全な育成を期し〉と謳いながら、犯罪を犯した少年が少年院を出たあと「更生」したかどうかといった長期追跡調査がなされていないというのも不思議な話である。

P67(被害者に対してマスコミの無神経さについて。被害者の妹は当時中学1年)
家ではわたし1人で留守番をしていたと思う。
新聞記者が次から次へとやってきて、兄の写真がないかとしつこく訊かれたのを、恐ろしいほどはっきりと覚えている。そのときもわたしは1人で対応した。
「困ります、お願いですから外に出てください」
そんなことを言っても、あの人たちは平気でずかずかとはいってきた。
何人かが上がり框に座ってわたしを囲み、わたしにたずねるのだ。(中略)
兄が死んでなぜわたしが責められるのか?
黒塗りの車で乗りつけた人たちは、なぜわが家にやってきたのだろう。不安と恐怖と猜疑心で、吐き気がこみ上げてくるのを、わたしはじっとこらえていた。


P75
兄のお葬式をすませ、やがて初七日がすぎると、家の中は次第に凍りつくような、寒々とした空気につつまれた。恐ろしいほど静かなのだ。あちこちにガラスの糸が張り巡らされているようで、へたに動くと一瞬にして崩れてしまいそうだった。

P216(被害者の妹がリストカットする)
リストカットといっても当時はその言葉さえ知らず、ただ手首を切れば死ねるんだと思っていた。紙を切るカッターナイフを取りだし、思い切って手首を挽いた。
血は出たが、死ぬほどの量ではなかった。
もっと力をいれなければと思って再度刃を立てたが、駄目だった。ノコギリで挽くようにギコギコやってもみたが、手首を通っている腱が邪魔をして深く切れないのだ。
やがて猛烈な痛みが襲ってきた。
全身が痺れるほどの痛みだった。
そのときわたしは気がついた。痛みはわたしの中の苦しみを消し、一時的だが現実を忘れさせてくれることを――。


P257
少年の犯罪は「前歴」となっても「前科」にはならない。
「前科」とは、刑事公判によって有罪判決を受けたことを意味し、犯行当時15歳のAは、当時の少年法第20条〈16歳に満たない少年の事件については、これを検察官に送致することは出来ない〉という規定から、もとより刑事処分を科されることはなかった。
この条項によって、Aの過去につけられた殺人者という犯罪歴は、少年院を出た時点で漂白され、国家によって新たな人生の第1歩を約束されるのである。


P277
現在のAは名誉も地位もある身である。優雅な趣味を持ち、恵まれた生活を送っているとも聞く。もちろん累犯歴もない。彼にすれば、アノ事件はすでに過去の出来事なのかもしれない。たしかに少年法の趣旨からいえば、彼は間違いなく「更生」したといえる。
だがその一方で、彼の「狂気」によって奈落に突き落とされた家族は、4半世紀以上も前の悲しみを、いまだに癒やされず背負い続けている。「更生」などといわれても、寒々しく響くだけにちがいない。なんと不公平なことだろう。「更生」は、彼ら被害者が少年Aを許す気持ちになったときにいえる言葉なのだ、と思う。


P290(現在の心境について)
あのときカウンセリングを受けられたら、あるいはこんなふうに苦しむこともなかっただろうと思う。だが、今となってはどうにもならないことだ。
わたしの心につけられたシミのような傷を消すことができるとすれば、あの事件に「決着」をつけられたときのような気がする。その「決着」のために、わたしはこの30余年、心の底にナイフをしのばせてきた。いつでも対決できるように――。

以上、文章紹介終了。
2004年度、日本政府が加害者の更生にかける支出は年間466億円。
一方、被害者のための予算が年間11億円。
(なお、神戸連続児童殺傷事件の前は被害者への予算1000分の1以下、だったそうだ)
民主主義の特徴は「効率の悪さ」である。(政治は足の引っぱり合いだし)
もし江戸時代だったら、ソッコー市中引き回し獄門さらし首でしょうね。
(別に、民主主義を否定している訳じゃないけどね・・・)

この問題を考え出すと頭が痛くなるけど、犯罪にもいろいろある。
どうしようもない、必然や偶然、歴史や宗教、国や民族でも価値観が異なってくる。
(普通に殺人を犯せば犯罪だけど、戦争なら英雄だし)
全ての犯罪を一律に論じることも出来ない。
(社会背景から家庭事情まで人それぞれ、千差万別)
100人いれば100とおりの犯罪がある、と思う。
数字に換算できない部分が多すぎて、統計をとりにくい。
それでも、思ってしまう・・・犯人が「改心」して「更生」する確率、ってどのくらいあるのだろう?
どこから少年で、どこから大人なんだろう?
人、って変われる・・・のだろうか?

PS
「犯罪」の濃さによって「改心」する確率が変化する、と思う。
「狂気濃度」を「鑑定」してグレーディングする作業が必要かも。
「このグレードなら、更生するかな」、とか。

【ネット上の紹介】
「あいつをめちゃめちゃにしてやりたい」―。40年近くの年月を経ても、被害者はあの事件を引きずっていた。歳月は遺族たちを癒さない。そのことを私たちは肝に銘じておくべきだと思う。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、司法を大きく変えた執念のルポルタージュ。