「日本人の坐り方」矢田部英正
時代劇TVを観ていて気になる。
当時の人は、こんな風に坐っていたのだろうか?、と。
いつから正坐があたりまえになってしまったのだろう?、と。
そんなわけで、この本を見つけた時は嬉しくなった。
いくつか文章を紹介する。
P9
「ダルマ」というのは、もともとはインドの言葉で、万物の「摂理」とか、人の踏み行うべき「道」のことを意味している。つまり自然のなかにも、人間のなかにも、同じように存在する秩序あるはたらきが「法(ダルマ)」であって、その真実を見極め、体得するための根本に、ダルマさんはまず「坐る」ということを自らに課したわけである。
P41
もともと「アグラ」とは貴族が坐る「台座」や「腰掛け」などの「座具」の総称であった。「胡坐」と書いて「アグラ」と読ませるのはあくまで当て字だ。「胡」とは、中国の北方や西域の騎馬民族ことで、彼らは日頃馬に跨がって生活していたので、腰掛けを携えて移動し、坐る時にはそれを利用していた。このような腰掛けが日本にも伝わり、「胡坐」と呼ばれるようになる。これに腰掛けると足は楽なので、やがて「台座」や「腰掛け」を使って安楽に坐ることも「アグラ」と呼ばれるようになり、「胡坐」という漢字が当てられたようである。
本書では膝を開いて足を上下に組む坐り方を「胡坐」と呼び、これに対して足を組まずに前後に揃える坐り方を「安坐」とする。
昔の絵巻を調べると、いろいろな坐り方のバリエーションがあったことが分かってくる。
P74
江戸時代も中頃になると、浮世絵や肖像画のなかに正坐で坐る人たちがちらほら見られるようになるのだが、それ以前の室町時代や鎌倉時代、平安時代の絵巻のなかで、正坐をしている人の姿は極めて少ない。庶民も武士も僧侶も公家も、古代・中世の日本人は大半が「胡坐」や「安座」、「立て膝」などで坐っているのだ。
P75
資料でいろいろな坐り方を見ていると、昔の人は足首も股関節もとても柔らかかったことが一目瞭然で、たとえ正坐が一般的な坐り方でなかったとしても、やろうと思えば簡単にできただろう、ということも容易に推察できる。(中略)むしろ男性は膝を大きく横に広げて堂々と坐ることを好んだし、女性もゆったりとしたキモノの下で、自由に足を組んだり立てたりして、寛いで坐ることを好んだ。
P82
江戸時代になるとそれまでの常識が覆り、「端坐」という新しい価値が武士の間に定着しはじめる。それは「端正に坐る」ということの他にも、坐次を重視した殿中の儀礼においては「下座の端から坐る」という「折り目正しさ」も求められたことを意味している。将軍に拝謁するもっとも格式の高い儀礼のなかで、忠誠を誓う大名たちの坐法は、各々の存在をより大きく見せる安座や胡坐よりも、慎ましく膝を閉じて「かしこまった」坐り方がより好ましいと考えられたにちがいない。またそれは身分の高い者に対する「つくばう(屈服する)」という身体的な記号でもある。
P85
武士の儀礼に精通していた石州は、「端坐」で行われる拝謁儀礼の坐法をすぐに茶の湯に取り入れたわけでなかった。したがって、手前での坐は「立て膝」を正式としながらも、客によっては「安座」や「胡坐」でゆったり坐らせ、茶をいただくときだけ「立て膝」に正す、という作法を用いた。
女性にも「端坐」がひろまっていくが、これは寛永年間(1624-1644)、と。
幕府が反物の寸法を改定する禁令を出したことがもとで、キモノの身幅が急に狭くなっていく。
現在のキモノとほぼ同じ寸法に落ち着いたそうだ。
P88
室町時代には女性も普通に行っていた「胡坐」や「安座」の坐り方が、江戸時代の女性にほとんど見られなくなるのは、おそらく幕府が改定した反物の寸法と密接な関係があるだろう。
P95
「正坐だけが作法である、というような常識は、いつ頃どのようにしてつくられたのだろうか?」(中略)
明治13年(1880)には、当時の小笠原弓馬術礼法の当主である小笠原清務が礼法の必要性を東京府に申し立てたのが始まり、と。
「正坐」は、「学校で習った正しい姿勢」を示す言葉として、日本国民全体の共通言語となっていったのであろう。
P116-117
ひとつのわかりやすい基準が絶対的な価値として祀り上げられ、人々の思考を停止させてしまう。その硬直した精神構造は「偶像崇拝」と同じものである。あらためて思い返すと「正坐」という言葉は、近代以降、日本人の坐の概念を支配し続けてきた偶像だったのではないか、そう思われてならない。
P117
「正しい基準」というのは、それが定まると同時に基準と対立する「正しくないもの」を排除してしまう。近代以前は、「胡坐」も「安坐」も「立て膝」も有用な坐り方として生活のなかに位置づけられていたのだが、「正坐」が正しい基準になってからというもの、いつのまにか基準から外れた「崩れた作法」とのレッテルを貼られてしまった感がある。しかしそれは永い永い日本の伝統から考えれば、ごく最近につくられた近代文化のなかの基準のひとつにすぎない、というのが本当のところではないだろうか。
以上、いかがでしょうか。
興味深くて、おもしろいでしょう?
これ以外にも、「遊女は決して袴を穿かない」(P147)とか「正坐と言わない夏目漱石」とか(P112)が興味深い。
よかったら読んでみて。オススメ。
【ネット上の紹介】
畳や床の上に直接腰を下ろして「坐る」。私たちが普段、何気なく行っている動作は、日本人が長い年月をかけて培ってきた身体文化だ。しかもそれは、「正坐」のみを正しい坐とするような堅苦しいものではなく、崩しの自由を許容し、豊かなバリエーションを備えた世界なのである。古今の絵巻、絵画、仏像、画像などから「坐り方」の具体例を抽き出して日本人の身体技法の変遷を辿り、その背後には衣服や居住環境の変化、さらには社会や政治の力学までが影を落としていることを解き明かす画期的論考。