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「旅路」藤原てい

2015年09月03日 20時58分22秒 | 読書(昭和史/平成史)


「旅路」藤原てい

藤原ていさんは、新田次郎夫人である。
『流れる星は生きている』の著者として有名だが、
本書では、その前後というか、半生が描かれている。
「小説」の形をとっているが、「自伝」と解してよいだろう。

新田次郎さんと結婚するときの気持ち
P56
それでも、この男に、自分の生涯を賭けてみようという気持ちが強かった。結婚とは、一種の賭のようなものだと考えた。相手のすべてを知りつくしてから結婚に踏み込むのが安全かもしれないが、もし、その安全策を取ったら、おそらく、結婚の意欲はなくなってしまうにちがいない。

敗戦による、満州からの突然の逃避行・・・しかも、子供3人を連れて。
P80
「どこへ逃げるんですか」
「南下する汽車に乗る。行先は不明だ」
 南下するとは、朝鮮を通過して、日本へ向かう汽車だった。
 私はふるえながら、荷物をルックザックへつめ込んだ。激しい目まいに襲われた。必死に耐えながら、子供達をゆり起こし、身支度をさせた。彼らは泣きわめいている。
「私達は、どうなるんですか」
「わからん、とにかく南へ逃げることだ」
「お父さん、逃げないでおきましょう。ここでみんな一緒に死にましょう」
「バカ、誰が死ぬと言った、生きるんだ」

著者は日本に辿り着くが、心身共に異常を来たし、死を覚悟する。
それが、結果として、『流れる星は生きている』を書くことになる。
P177
 その日から、フトンの上に腹ばいになって、遺書を書き出した。
(中略)
「どうか、お前達も、お母さんに負けないように、一生懸命に生きてゆきなさいよ」と。
 それにはどうしても、北朝鮮放浪の生活を書き込まなくてはならなかった。あのような苦難を一つ一つ、全力で乗り越えて来た私の姿を書いて、彼等を励ましてやりたかった。

P181
(前略)私は夫に、思い切って遺書を見せた。
それはノートに二冊、細かく書き込んであった。
「もう必要ありませんものね、焼き捨てましょうか」
 夫は吸いつけられるように読んでいる。その横顔を見ながら不安になって声をかけてみた。ふと、ノートの上に、水が落ちた。つづけて、また一滴、また二滴。それが夫の涙だと気づくまでに、数秒かかった。

【語る、ということ】
引き揚げ体験を語るというのは、誰でも出来ることではない。
戦争体験を語り継ぐ、と言うが、黙して語らずの方が大勢を占める、と考えている。
作家の五木寛之さんでさえ、引き揚げを書いたり語ったりされない。

 引き揚げのことを題材に作品を書くことを僕はしてこなかったんですが、おそらくこれからもしないと思います。自分の体験した非人間的な出来事を書くというのは、自己告白とか懺悔とか、そういうことにつながるものでしょう?それはやはり、天に対して行うべきもので、公表してやるものではないという気がします。「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子よりP312

【総括】
今まで、満州からの引き揚げ記録を何冊か読んできたが、どれも極限状態である。
その時、普段見せない裏の裏まで人間性が現れる。
東日本大震災では、粛々と避難する日本人が、世界から絶賛された。
でも、本当のところはどうなんだろう?
軍隊で、初年兵はいじめられ、「教育」という名の暴力が横行した。
疎開児童もいじめられ、自殺者も少なからずあったと聞く。
日本人のいじめは、今に始まったことではないのだ。
そこのところを押さえておく必要がある。

【参考図書】

【ネット上の紹介】
戦後の超ベストセラー『流れる星は生きている』の著者が、30年の後に、激しい人生の試練に立ち向かう苦闘の姿を描く、感動の半生記。自伝小説。
[目次]
第1章 女学校時代
第2章 新婚生活
第3章 放浪生活
第4章 夢に見た日本
第5章 成長した家族たち