「日本の山に生きた人々」安川茂雄
佐々成政、播上人、上条嘉門次、立山のガイドたち、野中至夫妻、以上5章に分かれている。
上条嘉門次の熊の捕まえ方
P126
まずなかまの猟師たちをあなの出口にまたせておいて、かれはわらのみのを腰のまわりにつけて、しりから先にあなの中へ、ゆっくりはいりこんでゆく。まだ体力の弱りきっているクマは、はいってきた人間におそいかかるだけの気力もないので、やがてかれのしりがクマにふれると、クマはうす気味わるいのでからだをよける。そのとき嘉門次は、とっさにクマのうしろにまわりこんで、こんどはクマのしりをかれの背中としりでくすぐる。するとクマはしだいにあなの出口におしだされてくるというのだ。(驚異の熊捕獲法、だ!)
【誤植】
先日紹介した、同著者による「世界の屋根にいどんだ人々」でも書いたが、
間違いが気になる。→「世界の屋根にいどんだ人々」安川茂雄
P49
(前略)あの信雄でさえ・・・
ルビが「のぶお」とある、一般的には「のぶかつ」である。
織田信雄の話をしてるから。(・・・脱力)
P196
十三日午前五時に雷鳥沢から別山にたどりつくと、かれらはまず剣沢小屋を見おろした。
別山のルビが「わけやま」となっている。(・・・再び脱力)