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百醜千拙草

何とかやっています

新しいアカデミアは実現したか

2008-06-17 | Weblog
先日、1950年に女流プロレタリア作家で共産党活動家の宮本百合子さんが発表したエッセイ、「新しいアカデミアを 旧き大学の功罪」を目にする機会がありました。この六十年前のエッセイを読んでいて、現在の日本の社会と大学の問題というのは根が深いなあとあらためて感じました。明治維新という改革の中途半端さが現在にいたるまで尾を引いているようです。短いので、全文を転載します。

日本に、言葉の正しい由緒にしたがっての、アカデミア、アカデミズムというものが在るのだろうか。徳川幕府のアカデミアであった林氏の儒学とそのアカデミズムとは、全く幕府の権力に従属した一つの思想統制のシステムであった。幕末の、進歩的な藩に置かれた藩学校は、当時表面上は幕府法律で禁じられていた 英、蘭学の学習を秘密に行ったり、「万国」の事情に精通しようとする努力を示した。それは、たしかに幕府政治の無力を知り、封建制におしひしがれている社会生活について沈黙しているにたえなくなった「人智の開発」であり、明治に向う知識慾であったにはちがいない。しかし、これらの藩学校は、藩という制度の 枠にはまっていた本質上、当時の身分制度である士農工商のけじめを脱したものではなかった。「士分の子弟」の智能開発が藩学校での目的であった。この性格は、士分のものが来るべき「開化」の担当者であるべきだという見通しに立ったものであった。そして、明治維新という不具なブルジョア革命は、事実ヨーロッ パにおけるように市民による革命ではなくて、下級武士とその領主たちが、一部にふるいものをひきずったままでの近代資本主義社会への移行であった。明治維新の誰でも知っているこういう特質は、「四民平等」となって、ふるい士農工商の身分制を一応とりさったようでも、数百年にわたった「身分」の痕跡は、人民 生活のなかに強くのこりつづけた。明治文学の中期、樋口一葉や紅葉その他の作品に、「もとは、れっきとした士族」という言葉が不思議と思われずに使われている。この身分感は、こんにち肉体文学はじめ世相のいたるところにある斜陽族趣味にまで投影して来ているのである。 日本の大学、なかでも帝大といわれた帝国大学は、明治以来のそういう日本的な伝統のなかで、どこよりもふるい力に影響されていたところではなかったろうか。帝大とよばれた時代でも学力と学資があれば、もちろん、士族、平民という戸籍上の差別が入学者の資格を左右するものではなかった。しかし、日本のあらゆる官僚機構と学界のすべての分野に植えこまれている学閥の威力は、帝大法科出身者と日大の法科出身者とを、同じ人生航路に立たせなかった。「息子を世に立たせよう」という自身には封じられていた希望で、田畑を売ってまで「大学を出した」日本の親のいじらしい心は、他の半面で、日本の軍国主義社会を支え維持させて行く大きな経済的社会的基盤となった。というのは「うちの息子は学問ができて人物もしっかりしているのに、金がないばかりに大学へやれない。知事や大臣にはなれなくても、せめて軍人になれば出世は力次第だから。」という親心と息子の心を吸収して、百姓の息子でも、軍人ならば大将にだって成れる道として、軍国日本に軍人の道が開かれていたのである。日本の大学は、人類の理性と学問に関するアカデミアであるより以前に、官僚と学閥の悪歴を重ねた。見えない半面で軍国主義日本の基盤を養いつつ…….。 尾崎紅葉の「金色夜叉」は、貫一という当時の一高生が、ダイアモンドにつられて彼の愛をすてた恋人お宮を、熱海の海岸で蹴倒す場面を一つのクライマックスとしている。明治も中葉となれば、その官僚主義も学閥も黄金魔力に毒されてゆく。もし、昔の東大の「よき日よき大学」によきアカデミズムがあったのなら、どうしてケーベル博士は大学の教授控室の空気を全く避けとおしたということが起ったろう。夏目漱石は、学問を好んだし当時の知識人らしく大学を愛していた。彼に好意をもって見られた『新思潮』は久米、芥川その他の赤門出身の文学者であった。けれども、漱石は大学の教授控室になじめなかった。「大学の学問」について疑問を抱いていた。博士号をおくられたときは、それをことわった。 日本の戸籍と、公文書から、士族、平民、私生子という差別が徹底してとりのぞかれたのは、昭和十四、五年ころになってだろうか。侵略戦争を強行し、すべての人民を戦争目的に動員するために、日ごろの差別感情をとりのぞく必要が感じられたからであった。つまり、人権剥奪の最もはげしい形である戦争への召集のために、個々の存在抹殺としての身分平等化が行われたわけであった。朝鮮の人々の日本名への改姓が強制されたと同じに。しかし、日本の大学でも兵営でも、の人々の遭遇する運命は多難であった。そして現在も決して偏見がとりのぞかれたとはいえない。松本治一郎氏の天皇制に対するたたかいとパージがよくその消息を告げている。今日の大学は、どのようなアカデミアであり、アカデミズムをもっているだろうか。ことあたらしく観察するまでもなく、大学法案に関する問題、レッド・パージに対する各大学の状態が強いられている現実を語っている。大学は、英語を使用し、英語で使用される新しい大小の官僚、事務官を養成すればことたりるところという標準で組みかえられつつある。それに抵抗して日本の理性と学問、文化の自立を主張する動きは、全日本の規模で全学問の分野を包含した。生きる自由、学び、働き、良心に従って行動する自由とともに、人権の一つとして奪われた理性を回復しようとする日本の青春の奮闘がある。すべての人々に訴えるこれらのたたかいの成果におそれて、労働組合、言論機関、芸能人ばかりでなく、教授と学生への思想抑圧、レッド・パージがおこった。文部、法務、特審関係、どこを見てもその指導的地位にいるものは、大学の第何期生かであり先輩である。過去の大学に、もしアカデミアの精神が伝統するというならば、これらの人々が現在、大学とその教授、学生、即ちわたしたち人民に向って示す精神のどこにその片鱗を見よ、というのだろうか。こんにちの日本からは、正しい人民のアカデミアとアカデミズムが生まれてゆかなければならない。人類の発展と幸福のために、真に貢献する学問と学問そのものの尊重の精神が確立されなければならない。このことは、民族の理性を守る仕事であり、人権擁護のためのたたかいのまぎれもない一面である。 (1950-12)

日本の帝国主義の終焉となった第二次世界大戦敗戦の五年後、マッカーサーによる日本の共産主義弾圧の中で、共産主義作家の筆によって書かれたものという複雑な背景を差し引いても、日本の大学に対する批判として頷かされる公平さを備えていると思います。日本の大学は真の意味で独立、自立性を持っておらず、政治的、思想的弾圧のもとにありつづけてきた状態を批判しているわけですが、驚くべきとことは、この提言から六十年たった現在でも、日本の大学にいまだに「正しい人民のアカデミズム」が真に存在するとは思えないという現実でしょうか。今日、日本の大学に自立した学問の自由は本当にあるのでしょうか。とりわけ金食い虫の生命科学においては、本来非営利組織である大学でさえも、金を取ってこれる研究、金につながりそうな実用的研究が大切な研究であるという経済至上主義による思想的制約を課せられています。この経済至上主義による大学の自立性の間接的侵害は、大学の研究費の多くが税金に依存しているという点によって正当化され、「税金を研究費に使用しているのだから、国民に直接役に立たない研究をしたいなら、自腹を切っておやりなさい」という暴論を平然と口にできるような知識人を跋扈させています。結句、「研究は自由にやってよろしいが、政府が気に入らない研究や研究者にはお金は出ませんよ」という事実上の弾圧があるわけです。その政府とはとりもなおさず、綿々と受け継がれてきた東大卒と官僚との密着によって作られる閉鎖的なクラブに他ならないのです。日本の大学のアカデミズムというのは、桃源郷のように実在しないもので、何十年経っても到達できない目標なのかもしれません。宮本さんが指摘するように、明治維新という中途半端な革命が、結局、真の民主主義を日本に実現させることをむしろ阻害したように思います。日本は町民文化によって栄え、町民はお上と係わり合いになることを避けてその文化を築いてきました。お上は一般人よりも上にあって彼らをコントロールする、そういう概念が未だに根強く残っている国なのです。町民はその与えられた限界を越えてはならぬものという刷り込みが現在でも残っているのでしょう。今日でも大学も日の丸の下に制御されており、それを大学人でさえ疑っていないというのが実情なのかも知れません。現在、大学の教育ビジネス化、大学研究室のベンチャービジネス化を見ていると、宮本さんが終戦後に嘆いた日本のアカデミズムというものは、現在は経済至上主義と日本政府の悪政によって、当時以上に損なわれてきていると言ってよいかも知れません。日本の大学が独立自治であるためには、日本政府を外部の力によって改革することが不可欠なような気がします。
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