百醜千拙草

何とかやっています

資本主義の構造的問題としての研究不正

2008-06-27 | Weblog
先週号のNature誌にScientific misconductについての調査結果とそのコメントが出ていたので、読んでみました。ここ数年、韓国のstem cell研究者やベル研究所、東大、阪大などでおこったhigh profileケースで、科学研究における不正は多くの人の関心を集めました。今回の調査では、アメリカでNIH grantのサポートを受けている約2000人余りのPrincipal Investigatorクラスの研究者を対象に行ったアンケート調査を行った結果、201件の不正と考えられる行為が3年間の間に目撃されたとのことです。不正の内容はデータのでっち上げ、改ざんが60%、盗作が約40%でした。不正は誰かから聞いて調査したら見つかった例が最も多く約30%、不正データに気がついた例が25%、直接不正行為を働いているのを見つけた例が11%です。不正行為の発見後、不正行為が公けに報告されなかったケースは37%あり、不正が見つかった場合の対処の困難さを示しています。不正行為は見つかった方はもちろん、見つけた方もしばしば不利な状況に追い込まれます。とくに学生やポスドクが指導者の不正を見つけた場合、公けになると、指導者への懲罰はそのまま自分にまで降りかかってきます。過去のこうした例では、研究室の閉鎖、活動停止などによって、大学院生でありながら、新たな研究室とテーマを見つけ直さねばならないことになったりしています。また、不幸なやや特殊な例として「今西カリ事件」があります。1986年、Cellに発表された免疫学の論文でのデータに不正があると思い込んだカリのポスドクが告発しました。ノーベル賞受賞者で前カリフォルニア工科大学総長のDavid Baltimoreが共著者であったこともあり、政府諮問機関も巻き込んだhigh profile ケースとなりました。足掛け10年にわたる調査と検討の結果、このケースは不正ではなく過失であるとの結論となり、カリに対する起訴は取り下げられたわけですが、この事件によって、発見者はカリの実験室を去ることになり、カリ自身もMITを出ることになり、Baltimoreはロックフェラー大学総長を辞任することになりました。その後も折々に、研究不正事件は報道されてきているわけですが、研究不正に対する各方面の関心は近年とりわけ高まっているように思います。このNatureの記事では、そのあとどうすれば不正行為が無くなるのかという議論が続き、倫理教育、施設の規律、報告者の保護、指導者の教育とかについて述べてあるのですが、私には、もっとも重要なことの議論が意図的に避けられているように感じられました。つまり「なぜ研究者が不正を働くのか」という観点からの議論です。この記事に述べられている策は全て対症療法であって、病を根から絶つものではありません。なぜ不正を働くのか、これは「成果主義」である殆どの資本主義活動の最終目的、「儲けてナンボ」を達成する近道だからです。どうしてスポーツ選手はドーピングするのか、どうして企業は税金をごまかし、製品の偽装を行うのか、動機はすべて同じです。研究者が不正をするのは、不正をしてでも論文をよい雑誌出すことによって「研究費と職場と地位を確保する」ためです。そのことは、誰が不正を働くのかを見るとなんとなく見えてきます。不正を働くもっとも多い例はポスドクであり、これはポスドクがアカデミアに職を得ることへのプレッシャーが最も強いことが動機であろうと想像できます。最も少ないのはAssociate professorです。多くのAssociate professorはテニュアでしょうから、首になる心配は余り無いわけで、ある程度落ち着いて研究できる環境にあるわけです。興味深いのはFull Professorの人による不正がポスドクについで多いことです。阪大でも教授自ら不正行為に手を染めていました。このレベルだとおそらく、研究費や自分の学会での縄張りとか政治力という新たな不正の動機があるものと思われます。この不正を根本的に無くするには、成果主義の傾向を低下させるしかありません。研究費や職場の確保を論文のみで判断しないシステムを作るか、研究者であれば誰でもそれなりに喰っていけ、学会の役職は業績に関わらず持ち回りという環境をつくるしかありません。そうすると、いずれにしても研究者間の競争を少なくすることになるわけで、当然、生産性は落ちます。実際、生産性の低下を起こすことなく不正を無くす方法はないと思います。私は現代生命科学は、消化不良になるほど玉石混淆の論文が出過ぎていますから、生産性が落ちても不良品のない方が良いと思いますが、世間の人は生産性が落ちるぐらいなら多少の不良品は我慢する方を選ぶ人の方が多いかも知れません。不正は困るが生産性が落ちるのも困るという勝手は通りません。高くて質の悪いものはいっぱいありますが安くて質のよいものは滅多にないので、質の良いものを求めようとすると高い値段を払わねばなりません。無理な話ですが、研究資金や職場の数を今の5倍にあげれば不正は激減するでしょうし、研究の質もそれなりに保たれるでしょう。一方で、現在の研究環境のまま、生産性を保ちつつ不正を減らそうとしても、これは構造的欠陥ですから無理です。不正に対する罰則を厳しくすれば不正は減るでしょうが、その他の研究環境を改善しない限り、それは結局、研究者の数を減らすことになりますから、生産性は確実に落ちます。しかし、研究者の数と研究費の比を適切な値にもっていくことは、健全な研究遂行においては不可欠と思われますから、現在の研究者と研究資金の不均衡を改善していくための方策として、不正罰則強化のような大鉈が必要なのかも知れません。現在の多少インチキしてでも論文が通ったもの、より多く儲けたものが勝ちという正直者がバカをみる社会システムでは倫理、道徳教育などでどうにもなるものではないと思います。
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