先日、テロメアで昨年のノーベル医学生理学賞受賞となった三人のうちの一人、Jack Szostack氏の話を聞く機会がありました。
テロメアの構造とテロメラーゼの発見のきっかけは、何十年も前に遡るのですけど、この発見が、当時、酵母の形質転換とゲノムの組み替えの現象について研究していたSzostackと、テトラヒメナの大核にあった繰り返し配列を研究していたElizabeth Blackburnという、一見、無関係なようにみえる組み合わせによって生み出されたということは興味深いです。
当時、染色体の末端がどのような構造をしているのか、どのようなメカニズムで核酸分解酵素から保護されているのか、細胞分裂にともなって、欠失すると考えられる末端配列は幹細胞ではどのように補償されるのか、線状の染色体をもつ真核生物での大きな謎でした。
Szostackは酵母を遺伝子導入によって形質転換する実験をしていましたが、環状のエピソームとして、薬剤耐性遺伝子を導入すると、効率よく形質転換できるが、線状にすると、ゲノムに組み込まれたものが、ごく少数形質転換できるだけで、ゲノムに組み込まれない線状DNAは極めて不安定であるということに着目し、もしも、Blackburnらが研究しているテトラヒメナの大核にある繰り返し配列がテロメアであるならば、その配列をくわえてやることで 線状DNAの安定性が増し、線状DNAによる酵母の形質転換効率が上がる(かもしれない)という仮説のもとに実験し、大当たりを引きました。本人も言っていましたが、やった時は、半信半疑、ダメでもともとの実験でした。
大発見というのは、きまぐれなものです。iPSの発見もそうでしょう。この手の実験は、やる前は、本人の感じとしては「こんなので、うまくいくはずないだろう、でもダメでもともとだ」というようなものが多いのでしょう。(それでも、やってみる、ところが大切です)
あと、興味深かったのは、テロメアが幹細胞などで細胞分裂で短くなる分が補償されるメカニズムを考えていたときの話しでした。今では、テロメラーゼという酵素が短くなった分を伸ばすということが分かっていますが、当時はその酵素は知られておらず、そのような特殊な酵素の非存在下でもテロメアの構造が維持できるモデルをSzostackらは考えたそうです。その内の一つのモデルは、テロメアがヘアピン構造をとるというモデルだったそうで、このモデルが、余りに理論的に美しかったのでなかなか捨てることができなかった、という話でした。この気持ちはよく分かります。(小沢氏の裏献金のシナリオが余りに奇麗に書けたので、事実の方を理屈にあわせようとした検察のようなものです)しかし、謙虚に一歩下がって、客観的事実を綿密に調べ、現実が理論に合わないのであれば、理論の方を捨てなければなりません。アインシュタインでさえ、自然がヘンな数字を定数に持つ筈がない、と言ったらしいですから、理論の美しさに対する信仰はみなそれぞれに強いものです。それでも、なお客観的に、公平に、ものごとを見ることができること、それが実験科学研究者に必須の資質であろうと思います。
話かわって、この間の1/28号のNatureでは、抗血液凝固薬で臨床で汎用されているビタミンK拮抗剤のワーファリンのターゲットであるVKORの結晶解析に成功との論文。VKORはビタミンK水酸化キノリンの生成を触媒する酵素ですが、これは、ひと月ほど前に書いたように、結核菌を含むある種の細菌で、ペプチドが高次構造を取る時にシステイン残基同士がS-S結合を起こす際、その酸化還元反応の触媒に必須の蛋白と相同なものです。筆頭著者の人の短いインタビューがフロントページに出ています。この研究の意義として、より安全性の高いワーファリンアナログの開発や、結核でのVKOR相同体が新たな抗結核薬の標的となる可能性などを話しています。ちょっとlong-shotですけど、最近は、一般の人にもわかるように研究の価値を説明することを要求されますから、こんなものでしょう。
この研究でも、哺乳類でのビタミンK代謝と細菌でのS-S結合という、一見、無関係な分野の研究が、うまく結び付いたことが成功の理由と言えると思います。
Szostackらの酵母でのテロメアの研究が、Yeast artificial chromosome (YAC)という分子生物学の新しいツールの開発に繋がったように、VKORの研究は、新規抗結核剤の開発へと繋がりつつあります。そして、これがもし成功すれば、これは臨床的意義という点で、非常に大きなものがあります。
Retrospectiveに見れば、思いもかけない異分野の研究が結びつくことが、これらの発見の原動力であったと結論できるでしょう。しかし、こういう「幸せな結婚」というのは、然るべきタイミングで、しかるべき様式で起こらなければ、実を結ばないであろうというのも想像できます。表には出ないでしょうけど、「結婚」をあせったばかりに、不幸になった例はきっと何十倍も多いに違いありません。いずれにしても、これらの共同研究における「結婚」は、何か新しいものを生み出そうとして、意図的に行われたのではなく、もっとSpontanousな結びつきであったようです。成果を求めて結婚相手を探す前に、まずは、己を磨くこと、その研鑽があって初めて、有意義な共同研究となるのでしょう。そう思いました。
テロメアの構造とテロメラーゼの発見のきっかけは、何十年も前に遡るのですけど、この発見が、当時、酵母の形質転換とゲノムの組み替えの現象について研究していたSzostackと、テトラヒメナの大核にあった繰り返し配列を研究していたElizabeth Blackburnという、一見、無関係なようにみえる組み合わせによって生み出されたということは興味深いです。
当時、染色体の末端がどのような構造をしているのか、どのようなメカニズムで核酸分解酵素から保護されているのか、細胞分裂にともなって、欠失すると考えられる末端配列は幹細胞ではどのように補償されるのか、線状の染色体をもつ真核生物での大きな謎でした。
Szostackは酵母を遺伝子導入によって形質転換する実験をしていましたが、環状のエピソームとして、薬剤耐性遺伝子を導入すると、効率よく形質転換できるが、線状にすると、ゲノムに組み込まれたものが、ごく少数形質転換できるだけで、ゲノムに組み込まれない線状DNAは極めて不安定であるということに着目し、もしも、Blackburnらが研究しているテトラヒメナの大核にある繰り返し配列がテロメアであるならば、その配列をくわえてやることで 線状DNAの安定性が増し、線状DNAによる酵母の形質転換効率が上がる(かもしれない)という仮説のもとに実験し、大当たりを引きました。本人も言っていましたが、やった時は、半信半疑、ダメでもともとの実験でした。
大発見というのは、きまぐれなものです。iPSの発見もそうでしょう。この手の実験は、やる前は、本人の感じとしては「こんなので、うまくいくはずないだろう、でもダメでもともとだ」というようなものが多いのでしょう。(それでも、やってみる、ところが大切です)
あと、興味深かったのは、テロメアが幹細胞などで細胞分裂で短くなる分が補償されるメカニズムを考えていたときの話しでした。今では、テロメラーゼという酵素が短くなった分を伸ばすということが分かっていますが、当時はその酵素は知られておらず、そのような特殊な酵素の非存在下でもテロメアの構造が維持できるモデルをSzostackらは考えたそうです。その内の一つのモデルは、テロメアがヘアピン構造をとるというモデルだったそうで、このモデルが、余りに理論的に美しかったのでなかなか捨てることができなかった、という話でした。この気持ちはよく分かります。(小沢氏の裏献金のシナリオが余りに奇麗に書けたので、事実の方を理屈にあわせようとした検察のようなものです)しかし、謙虚に一歩下がって、客観的事実を綿密に調べ、現実が理論に合わないのであれば、理論の方を捨てなければなりません。アインシュタインでさえ、自然がヘンな数字を定数に持つ筈がない、と言ったらしいですから、理論の美しさに対する信仰はみなそれぞれに強いものです。それでも、なお客観的に、公平に、ものごとを見ることができること、それが実験科学研究者に必須の資質であろうと思います。
話かわって、この間の1/28号のNatureでは、抗血液凝固薬で臨床で汎用されているビタミンK拮抗剤のワーファリンのターゲットであるVKORの結晶解析に成功との論文。VKORはビタミンK水酸化キノリンの生成を触媒する酵素ですが、これは、ひと月ほど前に書いたように、結核菌を含むある種の細菌で、ペプチドが高次構造を取る時にシステイン残基同士がS-S結合を起こす際、その酸化還元反応の触媒に必須の蛋白と相同なものです。筆頭著者の人の短いインタビューがフロントページに出ています。この研究の意義として、より安全性の高いワーファリンアナログの開発や、結核でのVKOR相同体が新たな抗結核薬の標的となる可能性などを話しています。ちょっとlong-shotですけど、最近は、一般の人にもわかるように研究の価値を説明することを要求されますから、こんなものでしょう。
この研究でも、哺乳類でのビタミンK代謝と細菌でのS-S結合という、一見、無関係な分野の研究が、うまく結び付いたことが成功の理由と言えると思います。
Szostackらの酵母でのテロメアの研究が、Yeast artificial chromosome (YAC)という分子生物学の新しいツールの開発に繋がったように、VKORの研究は、新規抗結核剤の開発へと繋がりつつあります。そして、これがもし成功すれば、これは臨床的意義という点で、非常に大きなものがあります。
Retrospectiveに見れば、思いもかけない異分野の研究が結びつくことが、これらの発見の原動力であったと結論できるでしょう。しかし、こういう「幸せな結婚」というのは、然るべきタイミングで、しかるべき様式で起こらなければ、実を結ばないであろうというのも想像できます。表には出ないでしょうけど、「結婚」をあせったばかりに、不幸になった例はきっと何十倍も多いに違いありません。いずれにしても、これらの共同研究における「結婚」は、何か新しいものを生み出そうとして、意図的に行われたのではなく、もっとSpontanousな結びつきであったようです。成果を求めて結婚相手を探す前に、まずは、己を磨くこと、その研鑽があって初めて、有意義な共同研究となるのでしょう。そう思いました。