細胞生物学研究分野で、もっとも有名な細胞株はHeLa細胞だと思います。この細胞株が、黒人女性、Henrietta Lacks (HeLaは頭文字)にできた子宮頸癌に由来するというのも結構有名な話であると思います。この間のNatureの書評欄では、The Immortal Life of Henrietta Lacks (Rebecca Skloot著)という本について触れられていて、そこにHenrietta Lacks本人の写真が出ていました。私は初めて、HeLaの生みの親(?)の人の写真を見ました。Henrietta Lacksが陰部出血と腹痛で発症したのが、1951年。当時、人種隔離政策があり、黒人が行ける病院は限られていました。癌の診断は、自宅から約30キロ離れたボルチモアのJohns Hopkins大学病院でなされ、その細胞の培養が行われました。
この記述に、私はあらためて、この半世紀の間の社会の変化を実感しました。それほど昔とも思えない60年前は、黒人と白人は隔離されていたのです。アラバマのモンゴメリーでRosa Parksがバスの白人席から動かず逮捕された事件が起きたのが1955年でした。HeLa細胞株の樹立はそれより、更に4年前です。黒人の公民権運動は遠い昔のことではありません。
約一ヶ月ほど前、アメリカでは、Martin Luther King Jr Dayでという祝日がありました。昨年、オバマが民主党の大統領候補としての指名を受けた民主党党大会は、その45年前にKing牧師が、黒人公民権と人種差別の撤廃を訴えた”I have a dream”の歴史的スピーチを行った日でした。キング牧師は黒人公民権運動のリーダーでありましたが、1968年に暗殺されました。それで、彼の公民権、人権運動への貢献を記念して、1986年に一月の彼の誕生日が国家の祝日となりました。それで、この季節のアメリカの小学校では、差別問題と公民権についての教育が行われるのです。
日本でも昔は、・という階級があって、その後、彼らが土地を持ってできた集落がとなりました。この民に対する大っぴらな差別は1970年代近くまで残っていたようです。私の子供のころは(今もでしょうか?)同和教育とかいう反民差別教育がありました。私が子供の時はそういう授業があるまで、民という人々とか彼らに対する差別があるということさえ知りませんでした。そもそも、小学校の子供に他の子供に対する差別意識などあるはずもなく、同和教育の意義も分かりませんでした。振り返って思えば、こういう教育を小学生にするのは、むしろ、有害ではないのかと思ったりします。
先日、ウチの子供の小学校で、差別問題の教育のためと称して、ある実習のようなものがありました。その日、いつものように学校に行くと、半数の机の上に赤いカード、残りの半分に青いカードが置かれていて、赤いカードの席の子供は、その日一日、いろいろな差別待遇を受けるということです。例えば、食事の時には決まった場所に座らされるとか、遠いトイレを使わないといけないとか、そういうことらしいです。ウチの子供は赤いカードで、その日帰って来てから、トイレに不自由した、と文句を言っていました。ウチの子は、この実習(?)と差別や公民権侵害という話との関連が理解できなかったようで、私には、差別教育効果があったようには全く思えませんでした。私自身の経験から、そもそも差別意識など殆どない小学生にわざわざ差別を教えて、その実習までするというのは、余計なことだ、と余り愉快に思っていなかったのに、担任の先生が、保護者に「偏見と市民権」について書いてくれるようにとの手紙までよこしたので、私はすっかり不機嫌になってしまいました。私からみると、この担任の先生は、偏見と人権侵害や差別というものが、一繋がりのもので、偏見も差別も無くすことが正しいことだ、と考えているようなのでした。私は、偏見と差別や人権侵害というものを、そのように大雑把に考えるべきではないと思います。
(続く)
この記述に、私はあらためて、この半世紀の間の社会の変化を実感しました。それほど昔とも思えない60年前は、黒人と白人は隔離されていたのです。アラバマのモンゴメリーでRosa Parksがバスの白人席から動かず逮捕された事件が起きたのが1955年でした。HeLa細胞株の樹立はそれより、更に4年前です。黒人の公民権運動は遠い昔のことではありません。
約一ヶ月ほど前、アメリカでは、Martin Luther King Jr Dayでという祝日がありました。昨年、オバマが民主党の大統領候補としての指名を受けた民主党党大会は、その45年前にKing牧師が、黒人公民権と人種差別の撤廃を訴えた”I have a dream”の歴史的スピーチを行った日でした。キング牧師は黒人公民権運動のリーダーでありましたが、1968年に暗殺されました。それで、彼の公民権、人権運動への貢献を記念して、1986年に一月の彼の誕生日が国家の祝日となりました。それで、この季節のアメリカの小学校では、差別問題と公民権についての教育が行われるのです。
日本でも昔は、・という階級があって、その後、彼らが土地を持ってできた集落がとなりました。この民に対する大っぴらな差別は1970年代近くまで残っていたようです。私の子供のころは(今もでしょうか?)同和教育とかいう反民差別教育がありました。私が子供の時はそういう授業があるまで、民という人々とか彼らに対する差別があるということさえ知りませんでした。そもそも、小学校の子供に他の子供に対する差別意識などあるはずもなく、同和教育の意義も分かりませんでした。振り返って思えば、こういう教育を小学生にするのは、むしろ、有害ではないのかと思ったりします。
先日、ウチの子供の小学校で、差別問題の教育のためと称して、ある実習のようなものがありました。その日、いつものように学校に行くと、半数の机の上に赤いカード、残りの半分に青いカードが置かれていて、赤いカードの席の子供は、その日一日、いろいろな差別待遇を受けるということです。例えば、食事の時には決まった場所に座らされるとか、遠いトイレを使わないといけないとか、そういうことらしいです。ウチの子供は赤いカードで、その日帰って来てから、トイレに不自由した、と文句を言っていました。ウチの子は、この実習(?)と差別や公民権侵害という話との関連が理解できなかったようで、私には、差別教育効果があったようには全く思えませんでした。私自身の経験から、そもそも差別意識など殆どない小学生にわざわざ差別を教えて、その実習までするというのは、余計なことだ、と余り愉快に思っていなかったのに、担任の先生が、保護者に「偏見と市民権」について書いてくれるようにとの手紙までよこしたので、私はすっかり不機嫌になってしまいました。私からみると、この担任の先生は、偏見と人権侵害や差別というものが、一繋がりのもので、偏見も差別も無くすことが正しいことだ、と考えているようなのでした。私は、偏見と差別や人権侵害というものを、そのように大雑把に考えるべきではないと思います。
(続く)