百醜千拙草

何とかやっています

なださん

2013-06-11 | Weblog
中学生のころ、北杜夫さんや、なだいなださんのエッセイが好きでゲラゲラ笑いながら読んでいました。二年前に、なださんと同じ精神科の医局出身の北杜夫さんが亡くなったのを知ったのは、なださんのブログでした。なださんが、前立腺がん(訂正、膵癌の間違いでした)を患っているのは知っていましたが、つい最近まで老人党のことや政治のことなど、活発に発言されており、まだまだ元気なご様子だったので、突然の訃報に戸惑っております。5/28のエントリーでは、アベ自民党の経済政策を批判されていました。私も、今日は選挙前のアベ批判をするつもりでしたが、なださんの悲報に接して、アベ自民党の話を同じエントリーで触れるのは、故人への不敬のような気がするので、後日に回したいと思います。
 亡くなる前、数日のブログのエントリーから、少し抜き書きしておきたいと思います。


5月30日 木曜日 雨
雨の日、告知のことを考える。ぼくにとっては、告知されてから終末までかなり時間がありそうなので、本を書く計画だとか、旅行の計画を立てることができた。計画通りにことが運ぶか分からないが。しかし、目的を持って生きられる。
 他方、家族と一緒に暮らしながら、夫を間もなく失うことの分かった妻、というのもかなりつらいことが分かる。そう簡単に割り切れるものではない。娘もそうだ。遠く分かれて住んでいるせいもあって、こころの整理がなかなかつきにくいだろうと思う。皆親切にしてくれるが、結局死んでいくぼくが一番楽なのかもしれないと思う。こういう家族のことも考えながら告知をしている医者がいるのだろうか。


6月2日 日曜日 晴 少しつめたい風が吹く。
新しい本の見本が届けられた「とりあえず今日を生き、明日もまた今日を生きよう」という長い題。本屋のセンスに従う。
1日は6時から7時まで講演をした。小人数の集まりだったが、まあ、まあ退屈させずに話ができた。一応の自信はできた。これからは体力の回復が勝負だ。

6月6日 
 脈拍だけ130台血圧上下はまあ平常。痛み止めに頼る生活だ。
 月末、フランスに行って、そこでフランス語で最後の講演をするつもりだったが、どうもこの状況では、難しくなってきた。講演のテキストを準備して向こうで配ってもらおうと思うのだが、その翻訳の中で、コモンセンスの訳として作られた日本語常識なのだが、もう元には戻れない。さりとて、新しい言葉にぶつからない。フランス語にぴったりしたことばがないのだ。


常識という言葉やその概念そのものが、消えつつあるということでしょうか。
魂の不死を信じる私は、「冥福を祈る」という言葉が実はピンと来ませんが、常識的であることは大切だと私は思っていますので、中学生時代を楽しませてくれたなださんのご冥福を祈りたいと思います。肉体を離れた後の、魂の新しい生活が幸運でありますように、という意味です。
コメント
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