百醜千拙草

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カネの話とか

2013-06-25 | Weblog
休み中ですが、ちょっと一言。
東京都議選、もり下がりました。記録的低投票率に加え、自民党の(一見)圧勝。民主党に懲りた人々で、その前に自民党に懲りた記憶力のよい人々が、政治そのものに幻滅して、投票に行かなかったせいではないかな、と思います。当然、公明党は安定しているでしょうし、自民党の昔ながらの支持者は相対的に投票に対するモチベーションが高くなったであろうと思います。つまり、自民党が勝ったのは別に支持が上がったのではなく、反自民党の人々の選挙に対するモチベーションが下がっただけのことでしょう。ま、日本の政治はいずれにしても茶番といっていいでしょう。実のところ、「民主主義ごっこ」の体裁付けのための儀式に過ぎません。どの政党に入れても投票者の願いが本当に反映されることはありませんから、選挙などにいくエネルギーがもったいないと考えるのは理にかなったことかも知れません。鳩山政権が潰されたのを見ると、官僚政治の悪質さはよくわかります。

さて、6/6号のNatureの書評欄で、Flex Martin著の「Money; The unauthorised biography」が取り上げられていました。経済学に分類されるであろう本を自然科学の雑誌が取り上げるというのは興味深いです。
 世の中の多くの人は、カネの持つパワーはよく知っていて、カネを欲しがりますが、そのカネを使った経済システムは誰がコントロールしているのか、近代のクレジットを基本とした貨幣経済は誰が作り出したのか、実はよく知りません。しかし、それでもちょっと考えてみれば、カネは力であり、カネを発行する中央銀行システムのウラにいる連中がそのパワーを握っていて、末端のわれわれにはよくわからないようにカモフラージュされてはいるものの、近代の金融システムというものは、かなり手の込んだ詐欺であるらしいということはわかります。
適当に意訳しながら一部を抜き書きしておきたいと思います。

ある程度まで、Martinは、カネという概念は全て想像上のものであるということを示している。信用がカネのシステムの潤滑剤となり、期待、法律、慣習、権力などの複雑なブレンドがカネの「価値」を作り出している。(クレジットに関して)クレジットを出す機関(政府や銀行など)が信用できると考えられる場合に、やり取り可能なクレジットはカネとして働く。交換の力学におけるカネとクレジットの基本的な性質は、その受け手が損をすることなく、別の人に支払いすることができることが期待できることだ。
(貨幣経済というものは人々の共通の幻想の上に成り立っているということですね。とくに紙幣はタダの紙切れですから、それに価値があると人々が信じない限り、貨幣経済は成り立ちません)

Martinは貿易(トレード、交換)の歴史的発展に触れる。ここで、彼は、あらゆる貨幣経済における中心的問題を取り上げる。即ち、「誰が(カネの)システムをコントロールしているのか?」ということだ。
 アリストテレスから知ることができるように、古代ギリシャ人はカネは個別のモノの交換を促進するものと捉えていた。一方、初期の中国では、カネは国家(運営)の重要な道具と考えていた。


カネのシステムは誰がコントロールし、それによって誰が利益を受けているのか、カネの本当の目的は何か、実はあまり知られていないのではないでしょうか。ギリシャと中国ではカネに対する捉え方が違う訳ですね。もちろん、両方の要素がありますが、現代では、カネがないと行きて行けないような社会にすることで、中央銀行、資本家は、人々を奴隷化することができますから、中国的に人民をコントロールする手段である側面の方が強いと思います。

グローバル資本主義というものは、かつてのヨーロッパ帝国主義、植民地主義と同じ構造です。かつてヨーロッパ諸国は武力でアフリカやアジアの人々を奴隷化し、搾取することによって、自分たちだけは快適な生活を送ろうとしました。現代は、武力ではなくカネの力を使って、国境を問わず、資本主義社会に生きる人々を奴隷化できます。国境はカネによる奴隷化においては、既に人々を守ってはくれませんから、かつての植民地主義よりもより悪質であると言えるかも知れません。権力はカネで動き、そのカネをコントロールしているのは金融マフィアとそれに結託した資本家です。彼らは、貨幣システムを支配できるごく一部のものをトップに世界を支配階級と被支配階級いう構造へと階層化しようとしています。思うにNatureのEditorは、この現在の貨幣経済システムに危機感を感じているのではないでしょうか。

われわれがこの支配から抜け出すには、できるだけ、中央銀行の発行するカネに依存することを止めることです。かわりに、地域通貨、自給自足、ローカルな小コミュニティーが自立した機能をもつような社会という下層構造をまず確立することでしょう(簡単なことではありませんが、フクシマ事故で汚染食材がコッソリ流通し食や生活の安全が脅かされている現在、自分の目が届く範囲のものを使って生活したい、と思う人々が、行動を起こしつつあるようです)。自家農園、日本版ダーチャですね、まずは、食の自立から奴隷体制からの離脱が可能になるように思います。
コメント
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